FC2ブログ

記事一覧

海印三昧 「 衆法を以て此身を合成す 」

海印三昧  2)仏言はく但衆法を以て此身を合成す起時は唯法の起なり滅時は唯法の滅なり此の法起る時、我起ると言はず此の法滅する時、我滅すと言はず前念後念、念々不相待なり前法後法、法々不相対なり是れを即ち名づけて海印三昧とす正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした威儀を正す立っても椅子に腰かけても威儀は正せるのでは?坐禅に固執する意味、これ如何この疑問、確かにィですそこで改めて、坐禅の坐...

続きを読む

海印三昧 「 深々海底行なり 」

海印三昧  1)諸仏諸祖とあるにかならず海印三昧なりこの三昧の遊泳に説時あり、証時あり、行時あり海上行の功徳、その徹底行ありこれを深々海底行なりと海上行するなり流浪生死を還源せしめんと願求する是什麼心行にはあらず従来の透関破節もとより諸仏諸祖の面々なりといへどもこれ海印三昧の朝宗なり正法眼蔵第十三巻は「 海印三昧 (kai-in Zanmai) 」でした「 息をはき、身体前面を下る  腰腹の点に静まるをimageする  ...

続きを読む

坐禅箴  「 これ単伝の正印なり 」

坐禅箴  41)いま、宏智禅師より後八十余年なりかの坐禅箴をみて、この坐禅箴を撰すいま仁治三年壬寅三月十八日なり今年より紹興二十七年十月八日にいたるまで前後を算数するに、わづかに八十五年なりいま撰する坐禅箴、これなり 坐禅箴 仏々の要機、祖々の機要 不思量にして現ず、不回互にして成ず 不思量にして現ず、其の現自ずから親なり 不回互にして成ず、其の成自ずから証なり 其の現自ずから親なり、曾て染汚無し...

続きを読む

坐禅箴  「 宏智古仏なり 」

坐禅箴  40)宏智禅師の坐禅箴かくのごとし諸代の老宿のなかにいまだいまのごとくの坐禅箴あらず諸方の臭皮袋、もしこの坐禅箴のごとく道取せしめんに一生二生のちからをつくすとも道取せんことうべからざるなりいま諸方にみえずひとりこの箴のみあるなり先師上堂のときよのつねにいはく宏智古仏なり自余の漢を恁麼いふことすべてなかりき知人の眼目あらんとき仏祖をも知音すべきなりまことにしりぬ洞山に仏祖あることを正法眼...

続きを読む

坐禅箴 「 足下無糸 」

坐禅箴  39)飛空の行履、はかるべきにあらず飛空は尽界なり、尽界飛空なるがゆえにこの飛、いくそばくといふことしらずといへども卜度のほかの道取を道取するに杳々と道取するなり直須足下無糸去なり空の飛去するとき、鳥も飛去するなり鳥の飛去するに、空も飛去するなり飛去を参究する道取にいはく只在這裏なり、これ兀々地の箴なりいく万程か只在這裏をきほひいふ正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした直 tada ...

続きを読む

坐禅箴  「 空 闊 」

坐禅箴  38)空闊(ひろ)くして涯りなし鳥の飛ぶこと杳々なり空闊といふは天にかかれるにあらず天にかかれる空は闊空にあらずいはんや彼此に普遍なるは闊空にあらず隠顕に表裏なき、これを闊空といふ鳥もしこの空をとぶは、飛空の一法なり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした左右上下、そして奥行きの前後何気ない空間感覚です目にトラブルが起これば視覚に支障を来し耳にトラブルが起これば聴覚に支障を来すでし...

続きを読む

坐禅箴 「 魚行のごとし 」

坐禅箴  37)はかる岸なし、うかむ空なししづむそこなきがゆえに測度するたれなし測度を論ぜんとすれば徹底の清水のみなり坐禅の功徳、かの魚行のごとし千程万程、たれか卜度せん徹底の行程は、挙体の不行鳥道なり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でしたキリスト・イエスその象徴は初期 「 お魚 」 だった十字架をもってその象徴とするはそのあとになって、と読んだ事があります「 魚行のごとし 」お魚さんは浮力...

続きを読む

坐禅箴  「 しづむそこなき 」

坐禅箴  36)魚もしこの水をゆくは行なきにあらず行はいく万程となくすすむといへども不測なり、不窮なりはかる岸なし、うかむ空なししづむそこなきがゆえに測度するたれなし正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした拠り所を背景とするそれを通常の「我」とするならすべての拠り所が消えてもいや、拠り所が消えてこそ浮かび上がるのが深奥にまどろむ「 自我 」でしょうか普段は「人の四重奏」構造ゆえそれのみ意識す...

続きを読む

坐禅箴 「 辺際に涯岸なき 」

坐禅箴  35)水清んで底に徹って魚の行くこと遅々水清といふは空にかかれる水は清水に不徹底なりいはんや器界に泓澄する水清の水にあらず辺際に涯岸なきこれを徹底の清水とす正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした透き通った水、それを見てるそれだけでも気持ちが清々しますちょっと野暮ですがその位置関係をimageしますと私がいて、水面があって、清水があってそんな位置関係でしょうか一方、この一節で描写され...

続きを読む

坐禅箴 「 無偶無取 」

坐禅箴  34)このゆえに無偶なり、このゆえに無取なりこれを奇なりと住持しきたり了なりと保任しきたるに、我却って疑著せりなり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴 (Zazen Sin) 」 でした息が背筋を吐いて Down し 、吸って Up するこの威儀形成の中で何がなされているのだろう? という問いでした一人一人一名一名まったく違う時間空間の中御暮らしなされてる、そう推測されます世界( 内面 ) はどう形成されるのだろう?目耳鼻...

続きを読む

坐禅箴 「 旨外の宗 」

坐禅箴  33)目をあやしむことなかれ耳を信ずべからず直に旨外に宗を明らむべし言中に向かって則を取ること莫れなるは、照なり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした息が背筋を吐いて Down し 、吸って Up するこの威儀形成の中で何がなされているのだろう? と言う問いでしたRudolf Steiner 先生の 「 人の四重奏 」 構造自分であれ人様であれ4枚ガラスをかさね見なさってるあるいは、異なる4つの楽器の四重...

続きを読む

坐禅箴 「 毫忽の兆無し 」

坐禅箴  32)其の照自から妙なり曾て毫忽の兆無し毫忽といふは尽界なりしかあるに自妙なり、自照なりこのゆえにいまだ将来せざるがごとし正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした「 音楽は,  静寂の中から生まれ  静寂の中へ帰って行く 」ピアニスト、アファナシエフさんには音楽はそのように自己を開示してくれる一方、宏智禅師においては息が背筋を Down (吐息) / Up (吸気) するこの威儀形成の中に静寂と生...

続きを読む

坐禅箴 「 不逢一人 」

坐禅箴  31)曾無已曾なり、已曾は現成なりしかあればすなはち曾無分別は、不逢一人なり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でしたロシアのピアニスト ヴァレリー・アファナシエフさんの言葉「 音楽は,静寂の中から生まれ  静寂の中へ帰って行く   」この言葉を「 音楽は、静寂の中へ帰って行き  静寂の中から生まれて来る   」こう置き換えると宏智禅師の 「 坐禅箴 」 の音楽世界、立ち現れるような曾...

続きを読む

坐禅箴 「 山河の親切 」

坐禅箴  30)山河の親切にわが知なくは一知半解あるべからず分別思量のおそく来到すとなげくべからず已曾分別なる仏々すでに現成しきたれり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした正法眼蔵は、「 楽譜 」じゃないかしら整然とした思考スキームそれに裏打ちされた幾何学概論とも読めますそうも読めますが「 楽譜 」として読むと日常に生かせるような正法眼蔵のすべての語彙それを楽譜の音楽用語そう読むのも楽しから...

続きを読む

坐禅箴 「 龍を作する 」

坐禅箴  29)其の知自ら微なるは、かつて分別の思なし思の知なる、かならずしも他力をからず其知は形なり、形は山河なりこの山河は微なり、この微は妙なり使用するに活発発なり龍を作するに、禹門の内外にかかはれずいまの一知わづかに使用するは尽界山河を拈来し、尽力して知するなり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした息をはきつつ、身体前面を腰腹の一点へ向け静まって行くこれは古文読解ではありませんが「...

続きを読む

坐禅箴 「 不対縁 」

坐禅箴  28)縁に対せずして照らすこの照は照了の照にあらず霊照にあらず、不対縁を照とす照の縁と化せざるあり縁これ照なるゆえに不対といふは、遍界不曾蔵なり破界不出頭なり微なり、妙なり、回互不回互なり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした宏智禅師の「 縁に対せずして照らす 」これに対し、道元禅師の解説でした縁結びの神様と言えば、出雲大社縁切り寺と言えば、鎌倉の東慶寺?良縁/悪縁とは「人間関係...

続きを読む

坐禅箴  「 不触事 」

坐禅箴  27)事に触せずして知る知はもとより覚知にあらず覚知は小量なり了知の知にあらず、了知は造作なりかるがゆえに知は不触事なり不触事は知なり遍知の度量すべからず自知と局量すべからずその不触事といふは明頭来、明頭打、暗頭来、暗頭打なり坐破嬢生皮なり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした宏智禅師作 「 坐禅箴 」対しの道元禅師の解説でした自然科学の観察でも「 観 察 」自体が対象に影響を及ぼし...

続きを読む

坐禅箴 「 回頭換面 」

坐禅箴  26)先師無此語なりこの道理これ祖々なり法伝衣伝ありおほよそ回頭換面の面々これ仏々要機なり換面回頭の頭々、これ祖々機要なり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でしたあ~ぁ、とォがっかりどうちようもない ・ ・しばらく経つと全然元気になってよしィ!行くぞォ!て盛り返す「 回頭換面 」また盛り返せると、ほっとします 。....

続きを読む

坐禅箴  「 喪身失命 」

坐禅箴  25)仏祖を謗ずること莫くんば好しなり未だ免れず喪身失命することをなり頭長三尺、頸長二寸なり仏々はかならず仏々を要機とせるその要機現成せり、これ坐禅なり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした二次元世界、XY軸な平面世界そこに自分が生きてるとしたら世界はどう見えるでしょうか?自分には直線だけが見えるのかも知れません直線・一次元の世界そこに自分がいたら世界は点として現れるでしょうか...

続きを読む

坐禅箴  「 父母未生前の節目なり 」

坐禅箴  24)いはゆる坐禅箴の箴は大用現前なり、声色向上威儀なり父母未生前の節目なり正法眼蔵第十二巻は、「坐禅箴(Zazen Sin)」 でした仙台中心部、青葉通りと晩翠通りの角一年中、閉店セールのスーツ屋さんがありました通学のバスの車窓から毎日見てて閉店とは、日々の閉店の事かしら?ならば誤表示に非ず、と思った次第坐禅箴の「 箴 」は「 imasime 」の意在庫を売り尽くし、新しく仕入れ新規一転リニューアルオープン...

続きを読む

坐り方の工夫 75

坐り方の工夫 75普段は、そんなに楽しくもなくな、坐り方の工夫前稿、宏智禅師の「 坐禅箴 」 ラスト一節「 かつて毫忽の兆無き  其の照取ること無くして了なり  水清んで底に徹(とお)って  魚の行くこと遅々  空闊(ひろ)くして涯(かぎ)りなし  鳥の飛ぶこと杳々(ようよう)なり 」こう語りかけられるといっきなり、楽しくなりにけりです自他共に、何をなさっておれれるの?な世界ですが頭の体操・身体の体操あれこ...

続きを読む

坐禅箴  「 杳々 」

坐禅箴  23)かつて毫忽の兆無き其の照取ること無くして了なり水清んで底に徹(とお)って魚の行くこと遅々空闊(ひろ)くして涯(かぎ)りなし鳥の飛ぶこと杳々(ようよう)なり正法眼蔵第十二巻は 「坐禅箴(Zazen Sin)」です表題である「坐禅箴」(宏智禅師作) その本文ラスト一節でしたこれだもんッ!ですそんな事して何か意味あるのですか?の世界ですが ・ ・宏智禅師の教育プログラムの帰結はこの一節、杳々悠々たるものです一人...

続きを読む

坐禅箴  「 毫忽の兆無し 」

坐禅箴  22)其の知自から微なり、かつて分別の思無し 其の照自から妙なり、かつて毫忽の兆無しかつて分別の思無き其の知無偶にして奇なり正法眼蔵第十二巻は 「坐禅箴(Zazen Sin)」です表題である「坐禅箴」(宏智禅師作) その本文の続きでした文章として読みますと文意はあるのでしょうが心躍り温かになる、とはなりませんYouTubeの面白動画見てる方が楽しい宏智禅師は何に対してレポートなさっておられるのか?それは坐禅の...

続きを読む

坐り方の工夫 74

坐り方の工夫 74背筋は一本ですが、その内実はfront...下りの任脈 back....上りの督脈この前面/背面2面張り合わせで構成されてる ・・・この先人の観察レポートを精査してみよう! でしたこの企画の背景は上半身を如何に立てるか?ここから人生を切り開いて行こう!この基本戦略があると言えます雲をなし、雨と下る地にて日に照らされ天へ上り、また雲を成す滞る事なき運行で雲水さん達は良き日月過ごしけり、でしょうかこ...

続きを読む

坐禅箴 「 触せずして知る 」

坐禅箴  21)「坐禅箴 」               勅諡宏智禅師 正覚 撰仏々の要機、祖々の機要事に触せずして知り縁に対せずして照らす事を触せずして知る其の知自から微なり正法眼蔵第十二巻は 「坐禅箴(Zazen Sin)」ですここから表題である「坐禅箴」(宏智禅師作) その本文でした「事に触せずして知り ・・」文章として読みますとなんの事やら?です実生活に照らし合わせますとあるある、でしょうかif、東京の満員...

続きを読む

坐禅箴 「 法界の表裏 」

坐禅箴  20)坐禅箴は大宋国慶元府太白名山天童景徳寺宏智禅師正覚和尚の撰せるのみ仏祖なり坐禅箴なり道得是なりひとり法界の表裏に光明なり古今の仏祖に仏祖なり先仏後仏、この箴に箴せられもてゆき今祖古祖この箴より現成するなりかの坐禅箴は、すなはちこれなり正法眼蔵第十二巻は 「坐禅箴(Zazen Sin)」でした任脈を下り、督脈を上るしかしこの循環円相を感じれど知覚しないようしよう!「 感じれど知覚しない 」へんな表...

続きを読む

坐り方の工夫 73

坐り方の工夫 73[ 質問 ]中風は何が原因なのでしょうか[ お答え ]天地には水気がある人には血分がある天地の水気は常に世界を廻るまた人の血分も常に五体を廻るゆえに、身体が完全であれば血分の廻りも完全である同様に、血分が完全である時は身体も完全であるまた、血気が満ちる時はその身体も自然と満ちる逆に、血が枯れる時はその身体も弱い若い時は活力が強いため気血が不順になることもなく中風に罹ることもないだが、老い...

続きを読む

坐り方の工夫 72

坐り方の工夫 72[ 質問 ]人中[ 鼻の下から口の間 ]に締まりがある者は気に締まりがあると言うのは何故でしょうか[ お答え ]神気を締める時は六根がその神に従って一身の門を塞ぐこれは口を塞ぐに等しいまた、口を塞ぐ時は自然と人中が締まり「心気」を締めるに等しいゆえに、人中が締まっている者は心に締まりがある、と言うつまり、心が締まらない時は一国の君主の心が安定しないに等しいよって、一身の門に締まりが無くなり六...

続きを読む

坐禅箴 「 打坐すでになんぢにあらず 」

坐禅箴  19)しかあればすなはち古来なりといへども坐禅を坐禅と知れるすくなしいま現在大宋国の諸山に甲刹の主人とあるもの坐禅をしらず、学せざるおほしあきらめ知れるありといへどもすくなし諸寺にもとより坐禅の時節さだまれり住持より諸僧ともに坐禅するを本分の事とせり学者を勧誘するにも坐禅をすすむしかあれどもしれる住持人まれなりこのゆえに古来より近代にいたるまで坐禅銘を記せる老宿一両位あり坐禅儀を撰せる老...

続きを読む

坐り方の工夫 71

坐り方の工夫 71心気は内に満ちていないと面上に脱してしまう脱すれば、面上に油を塗ったような光を生じるこれを、心気面上に脱して万事尽きる、と言うこのため、諸事が安定し難いこれを日昳の潤色と言い、大凶であるまた、心気が丹田に満ちる時は顔一面に現れる光がまるで日の出のようで面色は自然と豊かで、勇壮の気があるこれを心気丹田に在って万事を為す、と言う...............水野南北居士(1760-1834)息を吐き任脈を下...

続きを読む

坐り方の工夫 70

坐り方の工夫 70背骨背すじは任脈・督脈 2rootに分割出来る確かにそれは確認出来るのですが ・ ・「 坐り 」 も常に「 不安定 」 を工夫しないとどっしり1本背すじになっちゃいます木片の角線に荷重するこれもしばらくしてましたが木片の下は固い板の方が斜めに傾いて角線に荷重出来そうと、工夫変更でした点接なればこそ中心平衡感覚が覚醒する面接荷重ドッシリでは如何ともしがたい! でした....

続きを読む

坐り方の工夫 69

坐り方の工夫 69任脈・督脈この円相循環を志向しますと不安定あっての2ルート分割・Down/Up 円相成立なので立ったり歩いたりする時足の親指付近で、「 点立ち 」 したくなります肥田春充先生の「 中心によって足の拇指を支配す..............中心正しければ、拇指自ずから緊張す  ・・・  」この方程式の逆展開です....

続きを読む

坐り方の工夫 68

坐り方の工夫 68一なる背すじを Down&Up な二系統へと「 因数分解 」 しよう!それって何か意味あるんですか?です是は、合気道の藤平光一先生の「 臍下の一点に心をしずめる 」あるいは、肥田春充先生の「 聖中心に心をまとめる 」この研究にご縁のある方には身近な問題提起のよう思われますこの Down&Up な二系統は背すじの表裏ですが実は「循環円相」を描いているのではこの「円相」を描くが何故、各先生方の「中心感」へと...

続きを読む

坐り方の工夫 67

坐り方の工夫 67不安定化する事で一本を二本に分離する...............そう、ただ威儀を正すと硬直化した一本の背筋が作られるので威儀一なる背筋を Down&Up な二系統へと「因数分解」しよう!でした...

続きを読む

坐禅箴 「 六道輪廻の業相 」

坐禅箴  18)仏祖の光明に照臨せらるるといふはこの坐禅を功夫参究するなりおろかなるともがらは仏光明をあやまりて日月の光明のごとく珠火の光燿のごとくあらんずるとおもふ日月の光燿はわづかにこれ六道輪廻の業相なりさらに仏光明に比すべからず仏光明といふは一句を受持聴聞し一法を保任護持し坐禅を単伝するなり光明にてらさるるにおよばざればこの保任なし、この信受なきなり正法眼蔵第十二巻は 「坐禅箴 (Zazen Sin) 」...

続きを読む

坐禅箴 「 坐禅を単伝 」

坐禅箴  17)南嶽・江西の師勝資強かくのごとし坐仏の作仏を証する江西これなり作仏のために坐仏をしめす南嶽これなり南嶽の会に恁麼の功夫あり薬山の会に向来の道取ありしるべし仏々祖々の要機とせるはこれ坐仏なりといふことをすでに仏々祖々とあるはこの要機を使用せりいまだしきは夢也未見在なるのみなりおほよそ西天東地に仏法つたはるといふはかならず坐仏のつたはるるなりそれ要機なるによりてなり仏法つたはれざるには...

続きを読む

新年明けましておめでとうございます。日々ご健康ご健勝であられんこと心よりお祈り申し上げます。令和二年 元旦  佐々木正巳 拝....

続きを読む

坐禅箴 「 不執坐相 」

坐禅箴  16)若執坐相、非達其理いはゆる執坐相とは坐相を捨し、坐相を触するなりこの道理は、すでに坐仏するには不執坐相なることえざるなり不執坐相なることえざるがゆえに執坐相はたとひ玲瓏なりとも非達其理なるべし恁麼の功夫を脱落身心といふいまだかつて坐せざるものにこの道理のあるにあらず打坐時にあり、打坐人にあり打坐仏にあり、学坐仏にありただ人の坐臥する坐の此の打坐仏なるにあらず人坐のおのづから坐仏・仏...

続きを読む

坐禅箴 「 殺仏の功徳 」

坐禅箴  15)南嶽いはく汝若坐仏、即是殺仏いはゆるさらに坐仏を参究するに殺仏の功徳あり坐仏の正当恁麼時は殺仏なり殺仏の相好光明は、たづねんとするにかならず坐仏なるべし殺の言、たとひ凡夫の言葉に等しくともひとへに凡夫と同ずべからず又坐仏の殺仏なるは什麼(いか)なる形段が有る、と参究すべし仏功徳すでに殺仏なるを拈挙してわれらが殺人・未殺人をも参究すべし正法眼蔵第十二巻は 「坐禅箴(ざぜんしん)」でした止...

続きを読む

坐禅箴 「 非定相を荘厳とせる 」

坐禅箴  14)南嶽いはく若し坐仏を学せば、仏は定相に非ずいはゆる道取を道取せんには恁麼なり坐仏の一仏二仏のごとくなるは非定相を荘厳とせるによりてなりいま仏非定相と道取するは仏相を道取するなり非定相仏なるがゆえに坐仏さらに廻避しがたきなりしかあればすなはち仏非定相の荘厳なるゆえに若学坐禅すなはち坐仏なりたれか無住法におきてほとけにあらずと取捨し仏なりと取捨せん取捨さきより脱落せるによりて坐仏なるな...

続きを読む

坐禅箴 「 正嫡の児孫 」

坐禅箴  13)大寂無対なるいたづらに蹉過すべからず抛せん引玉あり回頭換面ありこの無対さらにざん脱すべからず南嶽、又、しめしていはく汝坐禅を学せば、坐仏を学すと為すこの道取を参学してまさに祖宗の要機をはん取すべしいはゆる学坐禅の端的いかなりとしらざるに学坐仏としりぬ正嫡の児孫にあらずよりはいかでか学坐禅の学坐仏なると道取せんまことにしるべし初心の坐禅は最初の坐禅なり最初の坐禅は最初の坐仏なり坐禅を...

続きを読む

坐禅箴 「 門とは出ずる要路なり 」

坐禅箴  12)第八唯有一門の事 文句の五に云く唯有一門とは上の種々の法門を以て仏道を宣示す、に譬う門に又二あり、宅門と車門となり宅とは生死なり、門とは出ずる要路なり此は方便経の詮なり車とは大乗の法なり、門とは円教の詮なりと御義口伝に云く、一門とは法華経の信心なり車とは法華経なり牛とは南無妙法蓮華経なり宅とは煩悩なり自身法性の大地を生死生死とめぐり行くなり云々正法眼蔵第十二巻は 「坐禅箴(ざぜんしん...

続きを読む

坐禅箴 「 打車の法 」

坐禅箴 11 )世間に打車の法なし凡夫に打車の法なくとも仏道に打車の法あることをしりぬ参学の眼目なりたとひ打車の法あることを学すとも打牛と一等なるべからず審細に功夫すべし打牛の法たとひ世の常にありとも仏道の打牛はさらにたづね参学すべし水牛を打牛するか鉄牛を打牛するか泥牛を打牛するか鞭打なるべきか尽界打なるべきか尽心打なるべきか打迸髄なるべきか拳頭打なるべきか拳打拳あるべし牛打牛あるべし正法眼蔵第十二...

続きを読む

坐禅箴 「 如人駕車 」

坐禅箴 10 )南嶽曰く人の車を駕するが如き車若し行かずは車を打つが即ち是か牛を打つが即ち是かしばらく、車若不行といふはいかならんかこれ車行いかならんか車不行たとへば、水流は車行なるか水不流は車行なるか流は水の不行といふつべし水の行は流にあらざるにもあるべきなりしかあれば車若不行の道を参究せんには不行ありとも参ずべし不行なしとも参ずべし時なるべきがゆえに若不行の道ひとへに不行と道取せるにあらず打車即...

続きを読む

坐禅箴 「 一時の出現 」

坐禅箴 9 )大寂曰く磨瓦あに鏡を成すことを得んやまことに磨瓦の鉄漢なる他の力量をからざれども磨瓦は成鏡にあらず成鏡たとひなりともすみやかなるべし南嶽いはく坐禅あに作仏を得んやあきらかにしりぬ坐禅の作仏をまつにあらざる道理あり作仏の坐禅にかかはれざる宗旨かくれず大寂いはく、如何即是いまの道取、ひとすぢに這頭の問著に相似せりといへども那頭の即是をも問著するなりたとへば親友の親友に相見する時節をしるべ...

続きを読む

坐禅箴 「 古鏡明鏡 」

坐禅箴 8 )南学いはく、磨して鏡となすこの道旨、あきらむべし磨作鏡は、道理かならずあり見成の公案あり、虚設なるべからず瓦はたとひ瓦なりとも鏡はたとひ鏡なりとも磨の道理を力究するに許多の榜様あることをしるべし古鏡も明鏡も磨瓦より作鏡をうるなるべしもし諸鏡は磨瓦よりきたるとしらざれば仏祖の道得なし、仏祖の開口なし仏祖の出気を見聞せず 正法眼蔵第十二巻は 「坐禅箴(ざぜんしん)」でした頭頂・眉間・人中・...

続きを読む

坐禅箴 「 通 路 」

坐禅箴 7 )南嶽ときに一瓦をとりて石上にあてて研ぐ大寂つひに問うにいはく師、何をかなすまことに、誰かこれを磨せんとみざらん誰かこれを磨せんとみんしかあれどもませんはかくのごとくそしもと問せられきたるなり作什麼なるはかならず磨せんなり此土他界ことなるといふとも磨せんいまだやまざる宗旨あるべし自己の所見を自己の所見と決定せざるのみにあらず万般の作業に参学すべき宗旨あることを一定するなりしるべし、仏を...

続きを読む

坐禅箴 「 喪身失命 」

坐禅箴 6 )江西いはく、図作仏この道、あきらめ達すべし作仏と道取するはいかにあるべきぞほとけに作仏せらるるを作仏と道取するかほとけを作仏するを作仏と道取するかほとけの一面出、両面出するを作仏と道取するか図作仏は脱落にして脱落なる図作仏か作仏たとひ万般なりともこの図に葛藤しもてゆくを図作仏と道取するかしるべし、大寂の道は坐禅かならず図作仏なり坐禅かならず作仏の図なり図は作仏より前なるべし作仏より後...

続きを読む

坐禅箴 「 密受心印 」

坐禅箴 5 )江西大寂禅師、ちなみに南嶽大慧禅師に参学するに密受心印よりこのかたつねに坐禅す南嶽あるとき大寂のところにゆきてとふ大徳、坐禅して箇の什麼(なに)をか図るこの問、しづかに功夫参究すべしそのゆえは、坐禅より向上にあるべき図のあるか坐禅より格外に図すべき道のいまだしきかすべて図すべからざるか当時坐禅せるにいかなる図か現成すると問著するか審細に功夫すべし彫龍を愛するよりすすみて真龍を愛すべし彫...

続きを読む

坐禅箴 「 公案現成なり 」

坐禅箴 4 )しるべし学道のさだまれる参究には坐禅辧道するなりその榜様の宗旨は作仏をもとめざる行仏あり行仏さらに作仏にあらざるがゆえに公案現成なり身仏さらに作仏にあらず羅籠打破すれば坐仏さらに作仏をさへず正当恁麼のとき千古万古ともにもとよりほとけにいり魔にいるちからあり進歩退歩、したしく溝にみち壑にみつ量あるなり 正法眼蔵第十二巻は 「坐禅箴(ざぜんしん)」でした世界中に坐禅の道場があります様々な指...

続きを読む

プロフィール

佐々木 正巳

Author:佐々木 正巳
佐々木正巳 
宮城県仙台市在住 
61歳です。


仙台に御越しの時は
お気軽にお寄り下さい

https://ozigi.info/


















.

最新記事