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記事一覧

行 持  「 天厨送食 」

行 持   37 )三平山義忠禅師そのかみ天厨送食す大顚をみてのちに天神また師をもとむるに見ることあたはず ( 三平山の義忠禅師には以前  ( 天界の料理人が、お食事を提供してました ( 義忠禅師が大顚宝通禅師にお会いしてからは ( 天界の料理人が  義忠禅師に会うことは、なくなりました世界中には素晴らしい音楽があります世界を旅してコンサートを聴きに行ってたある時、常駐して下さる音楽家と出会いその方のために小...

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石女たって舞う 

・・・・・・木人まさに歌い ・・・・・・石女たって舞う   ・・・・・・情識の至るにあらず・・・・・・・・・「 宝鏡三昧 」・・・・・・・・・・洞山良介禅師作 ・・・・・・・・・・807~869 木造彫刻が、歌いだし石像の女神が舞いだす中国は唐の時代日本は平安時代に書かれた偈頌ですが「 ト イ・ス ト ー リ ー 」 ( ディズニー )みたいな映像描写です前世紀ならチャップリンのサイレント映画みたい平時に 「 もはや、こ...

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波も引き 風もつながぬ

波も引き風もつながぬ捨て小舟月こそ夜半のさかりなりけり--------------道元禅師気づいたら小舟に乗ってて大海原を大航海です捨てられし小舟船団から離れて独りぼっちになっちゃったいろいろ不具合でてきてもう航海不能になっちゃったもはやこれまで、がっかりの極みですだめだこりゃ気軽になって見上げれば温かで涼しげなお月様こちら見て、微笑んでらっしゃる.....

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もはや、これまで 。

心の因数分解  5A と B どちらから「 もはや、これまで 。」 感、感じるでしょうかそれが禅僧の本領と推測されますがB からは、全然それを感じません何故そうなのか? の推論ですB の 「 もはや、これまで 。」 は過去を清算している、今を刷新してるそして、刷新ing の今の中で身を正す縦横垂線、聖十字をキープなされてる美しくかつ強固な構造線御本人がそれを保持しかつその美しさを感嘆なされてる...

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行 持  「 みることえず 」

行 持   36 )鏡清和尚、住院のとき土地神かつて師顔をみることえずたよりをえざるによりてなり ( 鏡清和尚が道場におこもりになり......その行を行われている時......その土地の神々は鏡清和尚を......見ることが出来ませんでした......その理解範囲の外におられたからです理解は出来なくてもそのお姿を見れば 「 すごいなぁ! 」感動は湧き上がって来たと、推測されます芸術作品や素晴らしい音楽耳にしますとそれを理解出来...

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断念の習得

心の因数分解  4心身が怒りにも似た激情に支配されてしまったもはや、これまで 。そう、気分を一新出来るだろうか禅僧の本領とはこの 「 断念 」 の習得にあると思われます....

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逆向きの意志

心の因数分解  3百丈禅師は「 一日なさざれば一日食らわず 」 ですとても強い意志をお持ちで常人の真似出来る事ではないですねそう思っちゃいますでも、はたしてそうだろうか?そう問えます確かに、何かをする場合強い意志が必要な感じがしますしかし、何かをしない意志出来るのに何かを断念する意志の場合強い意志は必要でしょうか断念する意志の場合意志の向きは逆になります逆向きの意志って独特な特性をお持ちなのかも....

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行 持  「 一日不食 」

行 持   35 )百丈山大智禅師そのかみ馬祖の侍者とありしより入寂のゆふべにいたるまで一日も為衆為人の勤仕なき日あらず ( 百丈懐海禅師は、以前。。馬祖道一禅師の侍者をなされていた時から  亡くなる日の夕べまで  一日たりともお掃除などの作務を  なされない日はありませんでしたかたじけなく、一日不作一日不食のあとをのこすといふは、百丈禅師すでに年老臘高なり ( かたじけないことに ( 「一日なさざれば、...

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行 持  「 天厨をまつことなし 」

行 持   34 )雲居山弘覚大師そのかみ三峰庵に住せしとき天厨送食す大師あるとき洞山に参じて大道を決擇( Ke`tyaku )してさらに庵にかへる ( 雲居山の弘覚大師が以前 ( 三峰庵に住んでいた時 ( 天界の料理人がお食事を提供なされてた ( 大師はある時、洞山良价禅師にまみえるえて ( 大道をえ再び庵に帰られた天使また食を再送して師を尋見するに三日を経て師をみることをえず天厨をまつことなし大道を所宗とす、弁肯の...

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極端な意志

心の因数分解  2雲巌 ( Ungan ) 禅師は誓いを立て「 今後、横になって休まず 」と言う、意志を行使なされましたこれは極端話しで、私達が学ぶところはないようにも見えますが日常生活に大いに参考となるのではそのように思われます身体を断念する、と言う極端な意志と空き家になった身体へ正確な思考( 垂直や水平、力の均衡等 ) を吹き込むと言う思考を同時に行うと身体がとても新鮮に感じられます新鮮に感じる、これは「 感情...

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心の因数分解 「 強い意志 」

心の因数分解  1 雲巌 ( Ungan ) 禅師は誓いを立て横になって眠る事はなかったその強さの分析です普段、心は意志・思考・感情がごじゃまぜで一つになってる感、大いにあります心を、意志・思考・感情三つに因数分解してみますその中の意志です強い意志とは、どのようなものでしょう ?雲巌 ( Ungan ) 禅師の意志は今後、横になって休まずですこれは責任の全うや希望の成就じゃなく身体に悪いんじゃないですか? な身体の「...

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行 持  「 わきを席につけず  2 」

行 持   33 )「 四十年わきを席につけず、一味参究す 」40年間、横にならなかった心身を、どのように運用なされたか?大いに興味がわきます普段、何となくな自分それが三つに分かれたと推測されます誓いを立てられた ( 意思 )そして坐禅をなされたわけですが垂直と水平と言う幾何学的純粋 ( 思考 ) は常に発動なされてるさらに、死をも覚悟なされてたとすると身体への執着はなかった思われますその時の ( 感情 ) を察する...

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行 持  「 わきを席につけず  1 」

行 持   32 )雲巌和尚( Ungan )と道吾とおなじく薬山に参学して共にに誓いをたてて四十年わきを席につけず、一味参究す法を洞山の悟本大師に伝付す洞山いはく「 われ一片に打成せんと欲して  坐禅辨道すること已に二十年なり  」いまその道、あまねく伝付せり雲巌曇晟( Ungan Donzyo )和尚と道吾円智和尚は共に薬山惟厳( Igen )禅師に師事しました誓いを立て、四十年間身を横にする事はありませんでしたそして、法を...

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行 持  「 懈惓せず 」

行 持   31 )普請作務(FusinSamu)のところに、かならず先赴す老にいたりて懈惓(Kegen) せずいまの臨済は江西の流なり江西の馬祖道一(Vaso Dōitu)禅師は木々のお手入れや道場のお掃除などみんなでなされる作業にはいつも率先して参加なされたそれは老僧になっても、変わる事はなかった今の臨済宗は、この馬祖道一禅師の一門です懈惓(Kegen) せず悟ったら、楽勝のんびり !じゃないんですか それじゃ、働き過ぎじゃな...

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行 持  「 密 印 」

行 持   30 )江西馬祖の坐禅することは二十年なりこれ南嶽の密印を稟受するなり伝法済人のとき坐禅をさしおくと道取せず参学のはじめていたるにはかならず心印を密受せしむ江西の馬祖道一(Vaso Dōitu)禅師は20年にわたり、坐禅をなされてたこれは、南嶽懐譲(Nangaku Ezyō)禅師から授かった坐禅とよばれる 「 心印 」 でした印とは、印鑑(はんこ) の印心の印鑑とは、どう言う意味でしょうか印鑑は、昨日押しても今日押...

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この身を十字にかける 10

この身を十字にかける 10六祖慧能( eno )禅師は、石臼でお米をつく行を続けられたその実際を見る事が出来れば力強く、大事に、神妙にそれらの言葉が、生きた実体として魔法のように、そこに感じられたそう推測されますお話しは転じて手を身体の前で合わせる法界定印ですこの手の組み方の一方の端は、両手の親指の合わせ一方の端は、背中肩甲骨の合わせです力強く、大事に、神妙にこれらは、何かをするからそうしようとして、そ...

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行 持  「 石 臼 」

行 持   29 )得法已後なほ石臼( isiusu ) をおひありきて米をつくこと八年なり出世度人説法するにもこの石臼をさしおかず、希世の行持なり六祖慧能( eno )禅師は、弘忍禅師より正法を継がれた後も石臼でお米をつく行を続けられたそれは八年に及び人々の説法なされる時でもその行を続けられた----------------------------墨を、静かにすって少しづつ心を鎮めて行く心を強く優しく、おにぎりを握る信じられない筆ペンで書...

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行 持  「 夜半に衣鉢を正伝す 」

行 持   28 )黄梅の会に投じて八箇月ねぶらずやすまず昼夜に米をつく夜半に衣鉢を正伝す六祖慧能( eno )禅師は、黄梅山弘忍禅師のもとに参じます八ヵ月間不眠不休昼夜にお米をつかれたそして、夜半に弘忍禅師から衣鉢を受け正法を継がれた------------------------早暁、三時頃に起きて一仕事して、また床に戻ります目はすっかり覚めてます手を法界定印に組み背中の肩甲骨をよせるのと両手親指の合わせとで綱引きして休んで...

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行 持  「 新州の樵夫なり 」

行 持   27 )六祖は新州の樵夫なり有識と称しがたしいとけなくして父を喪す老母に養育せられて長ぜり樵夫の業を養母の活計とす十字の街頭にして一句の聞経よりのちたちまちに老母をすてて大法をたづぬこれ奇代の大器なり、抜群の弁道なり断臂たとひ容易なりともこの割愛は大難なるべしこの棄恩はかろかるべからず禅宗で六祖と呼ばれている大鑑慧能(Daikan eno)禅師仏道参入の前は新州で樵(きこり)をなさってた学問との縁...

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恐怖と、その克服

この身を十字にかける 9不注意で刃物で手を切っちゃった即っ!しゅんとなります坐禅修行も威儀を正せば、即っ!しゅんとなるそうなると、次の展望が開けて来ますぞっとする、血が引くけど身は十字でかためててその怖さに対峙できる恐怖と、その克服と言う両極が対峙する大腰筋の張りそれで作る縦の矢そして、肩甲骨と手組みでつくる横の張り、横の矢この身を貫通する十字ってぞっとする、身に刺さる二本の矢同時にその恐怖を克服...

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行 持  「 無主の形骸 」

行 持   26 )無主の形骸いたづらに徧野せんとき眼睛をつくるがごとく正観すべしこの身も、主が去れば初冬山野の落ち葉のようにすぐに朽ちてゆきますこの事実を正確にイメージしてみるとても非日常な想定です普段、心身一体になって大騒ぎしてるんで私と言う主は、いずれこの身を去るだろうこの既定スケジュールはまったく忘れ去られています....

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行 持  「 斉肩なるべきなり 」

行 持   25 )壮齢耄及をかへりみることなかれ学道究弁を一志すべし脇尊者に斉肩なるべきなり塚間の一堆の塵土あながちに、をしむことなかれあながちに、かへりみることなかれ一志に度取せずばたれかたれをあはれまん若いとか、若くないとかそんな思いは無意味ですただ仏道一志脇尊者と共に歩いて行きましょう終には土に帰すこの身を惜しんでもどうにもならない自らが自らを済度しなければ誰があなたを救えるでしょうか....

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雑念は一瞬で消え失せます

この身を十字にかける 8お辞儀し戻して大腰筋を張る手組み法界定印で背中に横の張りをつくる単なる十字の image を筋肉の覚醒から実感できうるようにするそれから  ・・・ ?これに馴れてくると何か怪我した時例えば、刃物で手を切っちゃったその時、しゅんとなりますそれに似てくるまじいィ、出血するかな?とか是は「一超直入」即モードが変わります神妙になります、雑念は一瞬で消え失せますこれはフィクション創作行為です...

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行 持  「 学道の消息 」

行 持   24 )生来たとひいくばくの年月と覚知すともこれはしばらく人間の精魂の活計なり学道の消息にあらず幾つになった身体の変化を感じる時ここから年齢を感じる事がありますそれはそれそれが祖師方のスタンスです学道の消息は、生まれかわり死にかりりつつ続けゆくとこにある気が長いと言うか雄大哉です....

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行 持  「 至 愚 」

行 持   23 )いまの人あるいは五旬六旬におよび七旬八旬におよぶに弁道をさしおかんとするは至愚なり50代 60代あるいは70代 80代 になってもう真摯求道を諦めてしまう事はとても愚かなことですはい、道元禅師そして祖師方は悠久の時間の中で威儀求道をなされてる見渡してる時間のスパンそれが、そもそも違うのですね....

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行 持  「 生死に弁道するにはあらず 」

行 持   22 )弁道に生死をみるに相似せりと参学すべし生死に弁道するにはあらず悠久の中に生きてるその中に真摯神妙をなしてくその真摯神妙の中を生老病死、一生が去来してゆく生老病死、一生の中で真摯神妙をなすにあらずと....

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行 持  「 弁道に生死をみる 」

行 持   21 )しかあれども時人の譏嫌をかへりみず誓願の一志不退なれば、わづかに三歳をふるに、弁道現成するなりたれか見賢思斉をゆるくせん年老耄及をうらむることなかれこの生しりがたし生か、生にあらざるか老か、老にあらざるか四見すでにおなじからず諸類の見おなじからずただ志気を専修にして弁道功夫すべきなり弁道に生死をみるに相似せりと参学すべし生死に弁道するにはあらずきょう尊者はまわりの誹りに屈せず一志...

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これが死因です

この身を十字にかける 7この身を十字にかけるこれを実感に即して描写するに二本の矢が、身を十字に貫く真上から真横から貫通の二矢を打たれ候でしょうか沢木興道老師の問いに海に突き落とされる、これと自ら、エイッ!と海へ飛び込むこれは同じ事か、別モノか?と言う問いがあります追い詰められなぶりころしにあう orこの身を十字にかけ 「 これまで 」 とするこのキリストの断念を彷彿とする坐禅の本領ですが身を貫く 「 矢...

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行 持  「 処 胎 」

行 持   19 )しかあれば、脇尊者処胎六十年、はじめて出胎せり胎内の功夫なからんやんッ?赤ちゃんってどれ位お母さんのお腹にいるんだっけ ?きょう尊者は60年おられたとクイズ即答思考ですとまったくバカげたレポートですこれを現実に即して聞きますと600年でも6千年でも同じ事をレポートされてると言えます自己存在の核は受精受胎以前より存在してるこれは高校生レベルの普通の悟性で「 ありえるかも 」と推測さ...

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この身を十字にかける 6

無心、我をすてる自然天地と一つになる慈悲の心で接するこれらが、禅の核心と紹介されていますしかし案山子この文言を言語として理解してもクイズには強くなるでしょうが日常普段生活にあまり変化は ?感じられません道元禅師のレポート通り禅の核心は、坐禅の姿にあるとそう推測されますそして坐禅と他瞑想との違いその一つが法界定印ですしかし経験のないものがいきなり弓道の弓を引けないように相撲の鍛錬未経験者が意気充実な...

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行 持  「 敬 仰 」

行 持   18 )それより後、ただ日も足らず経行(きんひん)宴坐し住立思惟す昼はすなわち理教を研習し夜は乃ち静慮凝神す三歳を綿歴するに、学は三蔵を通じ三界の欲を断じ、三明の智を得る時の人 敬仰して因みに脇尊者と号す敬意の念をもってきょう ( 脇 ) 尊者と称されたと現代人の目からすると四六時中、横にならなかったこれは、「 ちょっと変な人 」 これが正常な反応かと正法眼蔵、広くは禅一般釈尊のレポート全般、理解...

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行 持  「 せめて曰く 」

行 持   17 )脇尊者、生年八十にして捨家染衣せんとす城中の少年すなわちこれをせめて曰く「愚夫朽老なり ひとえに何ぞ浅智なる 夫れ出家は、二業有り 一にはすなわち習定 二にはすなわち誦経なり いま衰耄せり、進取する所無けん みだりに清流にあとし いたずらに飽食することを知らんのみ」時に脇尊者諸々の譏議を聞いて因みに時の人に謝してしかも自ら誓って曰く我 もし三蔵の理を通ぜず三界の欲を断ぜず六神通を得...

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行 持  「 一生脇不至席 」

行 持   16 )第十波栗濕縛(ばりしば)尊者は「 一生脇不至席 」なりこれ八旬老年の辨道なりといへども當時すみやかに大法を単伝すこれ光陰をいたづらにもらさざるによりてわづかに三箇年の功夫なりといへども三菩提の正眼を単伝す尊者の在胎六十年なり出胎白髪なり誓つて屍臥せず、脇尊者と名づく乃至暗中に手より光明を放つて以て経法を取るこれ生得の奇相なり第十祖の「 ばりしば尊者 」は80歳から御修行を始められた...

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行 持  「 形体憔悴 」

行 持   15 )あるいは迦葉、頭陀行持のゆえに形体憔悴せり、衆みて軽忽するがごとしときに如來ねんごろに迦葉をめして半座をゆづりまします迦葉尊者、如來の座に坐すしるべし、摩訶迦葉は佛会の上座なり生前の行持、ことごとくあぐべからず。山道に佇む、石仏のよう実際そうなされていたのでふくよか、小ざっぱりな趣なされておられなかった摩訶迦葉尊者は一見、形体憔悴みすぼらしかったのでしょうその摩訶迦葉尊者を釈尊は...

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ハンガー

お洗濯したTシャツハンガーにかけるみたいこの身を十字にかけるその横糸のご研究でしたこれは坐禅道場行かなくても会社のデスクでも電車に坐っててもどこでも実践できるものかと( 法界定印は特殊な手組みですが )肩甲骨間、胸部の横線に力感を出せると 「 空しくならない 」....

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行 持  「 嫡 嗣 」

行 持   14 )第八摩迦訶葉尊者は釈尊の嫡嗣なり生前もはら十二頭陀を行持してさらにおこたらず十二頭陀といふは、一つには人の請を受けず日に乞食を行ず亦比丘僧の一飯食分の錢財を受けず二つには山上に止宿して人舍郡縣聚落に宿せず三つには人に従つて衣被を乞ふことを得ず人の與ふる衣被をも亦受けず但丘間の、死人の棄つる所の衣を取つて補治して之を衣る四つには野田の中の樹下に止宿す五つには一日に一食す一は僧迦僧泥...

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この身を十字にかける 4

道元禅師のレポートは何処を読んでも坐禅の姿を標準とする神妙に威儀を正そう! これで一貫していますそこで、何故坐禅の姿なの?疑問になります茶道・弓道・お能いかにも神妙威儀を感じます日常のお仕事もまた真面目な方からはそれを感じます坐禅の姿と、他スタイルを分かつものその一つが、手組み「 法界定印 」はいかにも坐禅らしいでは、法界定印って何なんですか?その推理検証です1.法界定印は  左右肩甲骨の合わせと...

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この身を十字にかける 3

こちらの文章は筋肉学( 運動生理学 )の石井直方さんのアイソメトリック Isometric Contraction に関するレポートでした。私たちが筋収縮といった場合必ずしも外観上の収縮を伴う必要はありませんでは、筋収縮の定義とは何か? それは「 筋肉が筋肉自体の中心方向に向かって...................................能動的に力を発揮すること  」 です力が中央に向かって生じていればいいわけですから伸張性収縮はもちろん筋肉の両...

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行 持  「 慈 父 」

行 持   13 )慈父大師釈迦牟尼佛十九歳の佛寿より、深山に行持して三十歳の佛寿にいたりて大地有同時成道の行持あり八旬の佛寿にいたるまでなほ山林に行持し藍に行持す、王宮にかへらず国利を領ぜず、布伽梨を衣持し在世に一経するに互換せず一盂在世に互換せず一時一日も独処することなし人天の閑供養を辞せず外道の謗を忍辱すおほよそ一化は行持なり浄衣乞食の佛儀しかしながら行持にあらずといふことなしお釈迦様は、何を...

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この身を十字にかける 2

こちらの文章は筋肉学( 運動生理学 )の石井直方さんの筋肉の特性を示すレポートでした。-----------------------------筋肉は(筋肉の)中心方向へ直線的にしか縮まない筋肉は直線的な力をなおかつ、その中心方向に向かって発揮することしかできません反対方向、つまり中心から外側に向かって力を出す筋肉もあるのではないかと誤解している人もいるかもしれませんが力のベクトルはあくまでも中心方向へだけ筋肉が自ら外に向かって伸...

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この身を十字にかける 1

威儀を正そう坐禅の姿を標準としよう正法眼蔵はそのどこを読んでもこのメッセージで一貫してますこの身を「 十字にかける 」このテーマでそのメッセージを読み解こうと思います....

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行 持  「 窮 子 」

行 持   12 )このゆえに行持をさしおかんと擬するは行持をのがれんとする邪心をかくさんがために行持をさしおくも行持なるによりて行持におもむかんとするはなほこれ行持をこころざすににたれども、真父の家郷に宝財をなげすててさらに他国れいほうの窮子となるれいほうのときの風水たとひ身命を喪失せしめずといふとも真父の宝財なげすつべきにあらず真父の法財なほ失誤するなりこのゆえに、行持はしばらくも懈倦なき法なり...

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行 持  「 花開葉落 」

行 持   11 )いまの花開葉落これ行持の見成なり磨鏡破鏡、それ行持にあらざるなしこのゆえに行持をさしおかんと擬するは行持をのがれんとする道元禅師は、仏門の方ですそれゆえその外形はスーツ&ネクタイではないし短パン&Tシャツでもありません時代と組織伝統に適した在り様なさってるでも、そのレポートは時代立場を超えて私達が何をすべきか明確に示されていますこちらのバランスボード坐禅の道場で用いる「 ざふ 」その...

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行 持  「 同生同死 」

行 持   10 )この行持に諸佛見成せられ、行持せらるるを行持せざるは、諸佛をいとひ諸佛を供養せず、行持をいとひ諸佛と同生同死せず、同学同参せざるなりこの道元禅師のレポート「 正法眼蔵 」は今から800年前のものです仏教、そして禅の中核を示してるとは言え その価値すなわちその活用価値は仏教の枠、禅の枠を超え出てる、そう推測されます国籍・年齢・職業・宗教のわくを超え日々の生活、それを豊かにする事が出来...

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行 持  「 種 子 」

行 持   9 )しかあればすなはち一日の行持これ諸佛の種子なり、諸佛の行持なり「 そこで神妙にしてなさい! 」これに即答出来る、 「 One ! 」 と応じれるこれが出来るのは理解力の問題ではなく身体のシステム・インフラの問題、と言えます大相撲の横綱に、棒高跳びの棒を差し出し「 全力で頑張りましょう! 」そう述べても、為すすべなしです名寿司店の親方競泳飛び込み台へ誘って、下を指さし「 全力で頑張りまし...

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行 持  「 本有元住にあらず 」

行 持   8 )かの行持を見成する行持はすなはちこれわれらがいまの行持なり行持のいまは自己の本有元住にあらず行持のいまは自己に去来出入するにあらずいまといふ道は行持よりさきにあるにはあらず行持現成するをいまといふ 神妙行持簡単と言えば、とても簡単な事と言えます「 神妙にしてなさい! 」「 One! 」 これだけこの神妙行持は通常の自己とは関係してない「 行持のいまは  自己に去来出入するにあらず 」こ...

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行 持  「 行持は縁起せざる 」

行 持   7 )隠顕存没に染汚せられざるがゆえにわれを見成する行持いまの当隠にこれいかなる縁起の諸法ありて行持すると不会なるは行持の会取さらに新條の特地あらざるによりてなり縁起は行持なり行持は縁起せざるがゆえにと功夫参学を審細にすべしやぁたぁ ~! 感がない何と言う事もない「 不 会 」 です神妙にしてなさい!それに即してもいいねッ!感でないのは当然なのかなと神妙にしてるわけですから「 縁起 」ああなっ...

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行 持 「 その功徳、ときにあらはれず 」

行 持   6 )過去現在未来の諸佛の行持によりて過去現在未來の諸佛は現成するなりその行持の功徳、ときにかくれずかるがゆえに発心修行すその功徳、ときにあらはれずかるがゆえに見聞覚知せずあらはれざれどもかくれずと参学すべし 正法眼蔵 第十六巻 は「 行 持 」 でした「 その功徳、ときにあらはれず 」そこで神妙にしてなさい!One!別に何だっちゅう事ないですしかし何ですA.日々そう心がけてるB.まったくそう...

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行 持  「 諸人の実帰なるべし 」

行 持   5 )この行持によりて日月星辰あり行持によりて大地虚空あり行持によりて依正身心あり行持によりて四大五蘊あり行持これ世人の愛処にあらざれども諸人の実帰なるべし正法眼蔵 第十六巻 は「 行 持 」でした神妙に威儀を正し静かに坐すこれが、「 はぁ ?? 」 なのは今も昔も同様であったと( 世人の愛処にあらざる )注目すべきは次の一節です行持これ世人の愛処にあらざれども「 諸人の実帰なるべし 」行 持 ( 威儀を...

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行 持  「 道環の功徳 」

行 持   4 )われらが行持によりてこの道環の功徳ありこれによりて佛佛祖祖、佛住し、佛非し佛心し、佛成じて断絶せざるなり正法眼蔵 第十六巻 は「 行 持 」 でした道環の功徳「 行き詰まらない 」と言う意味でしょうかでは、普段何に行き詰まっちゃうか?内面心象が、行き詰まっちゃう骨格筋肉呼吸が、行き詰まっちゃう極端話しでは生老病死に、行き詰まってるとも言えます----------------------------------「 そこで神...

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プロフィール

佐々木 正巳

Author:佐々木 正巳
佐々木正巳 
宮城県仙台市在住 
61歳です。

師 沼田 勇 先生 ( 玄米 )
師 中川 宗淵 老師 ( 三島 龍沢寺 )
師 瀬島 龍三 先生 

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文章を通しての師

沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )
Rudolf Steiner 先生
















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