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記事一覧

行 持  下  「 使用せず 」

正法眼蔵 行 持  下 「 使用せず 」今生、つひに如来の真訣をきかず如来の正法をみず如来の面授にてらされず如来の仏心を使用せず諸仏の家風をきかざるかなしむべき一生ならん隋 唐 宋の諸代かくのごときのたぐひおほし ( 今生この身で ( 如来の秘訣を聞けず ( 如来の正法を見れず ( 如来の面授に照らされず ( 如来の仏心を使用できない ( 諸仏の家風を聞けない ( 悲しいことです ( 六世紀から十世紀 ...

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行 持  下  「 業 力 」

正法眼蔵 行 持  下 「 業 力 」また真丹国にも祖師西来よりのち経論に倚解 i-ge して正法をとぶらはざる僧侶おほしこれ経論を披閲すといへども経論の旨趣にくらしこの黒業は今日の業力のみにあらず宿生の悪業力なり ( 達磨大師が中国へ ( 面壁坐禅を伝えられました ( その後も経論をたよりとし ( 面壁坐禅に近づかない ( 僧侶が多くおられた ( 経論を見てるのですが ( その本意に近づけないのです ( ...

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行 持  下  「 自称せん 」

正法眼蔵 行 持  下 「 自称せん 」西天にいたりて正師をみたるといふたれかその人いまだきこえざるなりもし正師にあはばいくそばくの名称をも自称せんなきによりて自称いまだあらず ( インドに行って ( 師に会ったという人を ( 聞いたことがありません ( 師に会っていたなら ( その名を自ら言うことでしょう ( 会ってないから述べないのです ( 道元禅師は ( お堅いイメージですが ( この一節からは...

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行 持  下  「 道念なきによりて 」

正法眼蔵 行 持  下 「 道念なきによりて 」仏法をもとむる名称ありといへども仏法をもとむる道念なきによりて西天にしても正師にあはずいたづらに論師経師にのみあへり ( 仏法を求めるという ( 強い意志はあるのですが ( 道心が整っておらず ( インドへおもむいても ( 師に出会う事が出来ません ( いたずらに論書や経典を ( 述べる師に会うのみですそのゆゑは正師は西天にも現在せれども正法をもとむる正...

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行 持 下  「 東 漸 」

正法眼蔵 行 持  下 「 東 漸 」西天の東来する宗旨を学せずば仏法の東漸 to-zen をあきらめざるによりていたづらに西天に迷路するなり ( 達磨大師が ( 中国へ来られました ( 大河が大海に注ぐように ( 仏法が東方へ伝わりました ( 仏法をなすとは、威儀を正し ( 聖十字の坐禅の中に ( 身を処す事に他ならないのですが ( その意味が理解出来ず ( 仏法を求めてインドへ ( 向かう人がおられるので...

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行 持 下  「 逃逝 」

正法眼蔵 行 持  下 「 逃逝 」行 持 下  25 )歩歩に謗法の邪路におもむく歩歩に親父の家郷を逃逝 to-sei すなんだち西天にいたりてなんの所得かある、ただ山水に辛苦するのみなり ( 行けば行くほど ( 仏法をないがしろにする事になります ( 行けば行くほど ( 家郷から遠ざかって行きます ( インドに行き、得る所があるかです ( ただ旅の辛苦が ( あるだけではないでしょうか ( 達磨大師の面壁坐...

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行 持 下  「 れいへい 」

正法眼蔵 行 持  下 「 れいへい 」梁の普通よりのちなほ西天にゆくものありそれなにのためぞ至愚のはなはだしきなり悪業のひくによりて他国にれいへいするなり ( 梁の普通年間 ( [ 梁の武帝の時代 520-527 ] ( 達磨大師が面壁坐禅を ( 中国に伝えた後も ( インドへ学びに行く者がありました ( 何のために行くのでしょうか ( とても愚かなことです ( 過去の悪業により ( 面壁坐禅を理解出来ず ( ...

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行 持 「 正種なき 」

正法眼蔵 行 持  下 「 正種なき 」宿殖般若の正種なきやからは祖道の遠孫とならずいたづらに名相の邪路にれいへいするもの、あはれむべし ( 過去世に ( 智慧の種を ( 植えていなかったかも ( それゆえ ( 達磨大師の法孫とならず ( いたずらに教理を検索し ( 迷路に幽閉されてしまった ( 致し方ないと言えます ( 過去世に ( 下準備してないから ( 現世でこうなっちゃった ( でもこの方程式...

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行 持  「 経師論師 」

正法眼蔵 行 持 下 「 経師論師 」しかあるに祖師の遠孫と称するともがらも楚国の至愚にゑふて玉石いまだわきまへず経師論師も斉肩すべきとおもへり少聞薄解によりてしかあるなり ( 私は達磨大師の法孫です ( そう名乗る者たちがいますが ( 楚国の愚かな人が ( 玉に似た石を大切にし ( 玉と石の違いを ( 知らなかったように ( 経典や論書を講じる師が ( 達磨大師と肩を ( 並べられると思っています...

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行 持  「 曇花一現 」

正法眼蔵 行 持  下 「 曇花一現 」曇花 (donge) の一現はやすかるべし年月をまちて算数 (san-zyu) しつべし初祖の西来はふたたびあるべからざるなり ( 優曇華の花は ( 三千年に一度咲きます ( 月日を待ちさえすれば ( この花を見ることが出来ます ( しかし、達磨大師が ( インドから来られて ( 厳粛壮麗を内に宿す ( 坐禅の行を伝えられた事は ( もう、二度とありえません ( 達磨大師が伝えられ...

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プロフィール

佐々木 正巳

Author:佐々木 正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催




かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」




宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )











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