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記事一覧

諸人これを古仏といふ

正法眼蔵 行持 ( 72 )趙州 zyo-syu の趙州に住 zyu することは八旬 hati-zyun よりのちなり伝法よりこのかたなり正法 syo-bo 正伝 syo-den せり諸人これを古仏 ko-butu といふ趙州 zyo-syu 禅師 が、趙州の観音院に住したのは八十歳を超えてからのことです南泉 nan-sen 禅師のもとで正しい坐禅の意味を見出されそれを継続体現なされた人々は、「 いにしえの仏 」 と讃えました....

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仙台は昨日最低-4.5 最高-7.5℃このような日はめったにありませんまったく空気の感じが、違いました北極に面したロシア北部の方々同じ地球にお住まいとは言えその日々、生きてる世界は別の星のようかも知れない....

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やさしさに包まれたなら 

本日はこの冬 最強の寒波が到来水道管が凍結しないよう対策が必要でしょうかユーミンの曲「 やさしさに包まれたなら 」このように寒い日は自分もそうありたいと思いますいにしえの禅僧方は暖房もないような所で静かに坐しておられたよっぽど気力体力が優れておられたそれもあるでしょうがその方々は「 やさしさに包まれていた 」だからへっちゃらだったんだそう推測されるところです....

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元気な内に

十 指 禅 ( 11 )次々いろんなことが起こります輪廻転生は予感も出来ませんが早晩この身体から退去することになるたぶんそうなるでしょうそうなった時ではなく元気な内に、その感じをつかむこの動機がはっきりすれば修行は確固たるものになってゆく先人方が、幾十年の修行をなしえたこれが基調かと....

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境に消え入る

十 指 禅 ( 10 )「 出身の活路 」 という言葉身体にくみしない世界にもくみしない皮膚と空気の境に消え入るいかにも、活路です....

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出身の活路

十 指 禅 ( 10 )「 出身の活路 」 という言葉があります心を身体から外出させず身体と外の、境に止めるそんな微妙な出身の活路独特な感じがします....

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圧倒的美を伴って

十 指 禅 ( 9 )「 魂の座は、内界と外界が触れ合うところにある 」ノヴァーリス ( Novalis 1772 - 1801 )The seat of the soul is where the inner world and the outer world meet.Novalisもしそうなら日々の風景は圧倒的美を伴って流れて行くのですから私達の内面が貧しくなる事などありえないのかもしれません....

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内でもなく、外でもない

十 指 禅 ( 8 )瞳の表面指先の皮膚確かにそこは私達肉体の限界点ですそこから向こうそこからこちらです静かに心を静め私達がこの境界面に立つ時どんな感じをうけるでしょうか内でもなく、外でもない独特の印象を受けますここに私達の魂の座があると言うならまさに魂は、この世のものではないという印象です....

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視力は、瞳の表面におられる

十 指 禅 ( 7 )「 魂の座は、内界と外界が触れ合うところにある 」ノヴァーリス ( Novalis 1772 - 1801 )The seat of the soul is where the inner world and the outer world meet.Novalis内界と外界が触れ合うところ視力においては、瞳の表面? と言うことでしょうか?壁の前で坐禅をする、それゆえ 「 面壁坐禅 」 と言われます何か窮屈な感じがしますが視力は、瞳の表面におられるので、目の前の壁は気にならな...

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如来

十 指 禅 ( 6 )「 魂の座は、内界と外界が触れ合うところにある 」 ノヴァーリス ( Novalis 1772 - 1801 )The seat of the soul is where the inner world and the outer world meet. Novalis瞳においては、どうでしょうか ?3cm先であれ、1cm先であれ、そこは外界です瞳の内界というと、もう頭の中です内界と外界が触れ合うところ ?それは瞳の表面? となるでしょうか確かに、瞳の表面に安住するなら美...

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プロフィール

佐々木 正巳

Author:佐々木 正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催




かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」




宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )











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