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記事一覧

古人の樹下に居し、林間にすむ

正法眼蔵 行持 ( 121 )俗なほ草屋に居す出家人いかでか高堂 kodo 大観 taikan を所居 syoko に擬 gi せん懺 zan 愧 ki すべきなり古人の樹下に居し、林間にすむ在家、出家ともに愛する所住なり刑務所?みたいガチガチ守り固めた所に住みたいワンちゃん熊さんみたいにフサフサ、毛をまとってないので頷けます道元禅師が例にだされる方々はアウトドア、あるいは路上生活者に近い何で、それが可能なのでしょう法常禅師は...

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草蓋 so-gai を明堂とせり

正法眼蔵 行持 ( 120 )しるべし、合宮、総章は、ともに草をふくなりいま黄帝、堯、舜をもて、われらにならべんとするになほ天地の論にあらずこれなほ草蓋 so-gai を明堂とせり神代中国の指導者と私達を比較するのは、おそれおおいことですがこれらの方々は、草ぶきの質素な宮殿で政務をなされた....

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舜の明堂は、草を以て之を蓋く

正法眼蔵 行持 ( 119 )尸子 sisi に曰 iwa く「黄帝の行 gyo を観 mi んと欲 omo はば、合宮 go-kyu に於いてすべし堯舜 gyo-syun の行を観んと欲はば、総章 so-syo に於いてすべし黄帝の明堂 mei-do は、草を以て之 kore を蓋 fu く、名づけて合宮と曰 iふ舜の明堂は、草を以て之を蓋く、名づけて総章と曰ふ 」800年前を生きられた道元禅師その時既に、建物に籠り自然と寄り添わない生活スタイルが進行してた明...

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俗なりといへども草屋 so-oku に居す

正法眼蔵 行持 ( 1178)黄帝 ko-tei 、堯 gyo 、舜 syun 等は俗なりといへども草屋 so-oku に居す世界の勝躅 syo-tyoku なり文字により歴史を遡れる以前、一万年前とか中国の伝承に残る 「 三皇五帝 」 の時代当時の人々やリーダーと、現代人との違い4K8K な明確な輪郭線でものが見える現代人当時の人々は、靄のよう夢のように世界をご覧なされてたそれは、現代人のように深く(身体・脳)に入り込んでなかったから魂...

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草庵白屋は古聖の所住なり

正法眼蔵 行持 ( 117 )出家学道の、いかでか豊屋に幽棲 yu-sei するあらんもし豊屋をえたる、邪命にあらざるなし清浄 syo-zyo なるまれなりもとよりあらんは論にあらずはじめてさらに経営することなかれ草庵白屋は古聖の所住なり古聖の所愛なり晩学したひ参学すべし、たがゆることなかれ13世紀鎌倉時代いや奈良平安時代においてすらお寺は国家の威厳を示すもので仏道を探求する学び舎ではなくなっていたと見るが自然でし...

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豊屋 ho-oku あらず

正法眼蔵 行持 ( 116 )いはんやこの日本国は王臣の宮殿 gu-den なほその豊屋 ho-oku あらずわづかにおろそかなる白屋 haku-oku なり11世紀中国の禅僧、白雲禅師雪が舞う坐禅堂のリフォームを却下なされた200年後、道元禅師がこの故事をもって修行僧へ語りかけます「 ましてや日本では、王臣の家屋ですら  茅葺の質素なものです  どうして私達が建物を立派にしようと  考えられるでしょう      」高気密...

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朝夕 tyo-seki に之を行ふべし

正法眼蔵 行持 ( 115 )日夜に之 kore を思い朝夕 tyo-seki に之を行ふべしいたづらに東西南北の風にふかるるがごとくなるべからずいつもこれを思うように ・・何を思ってればいいのでしょう朝な夕なこれを行う ・・何を行えばいいのでしょう事故骨折入院、そしてリハビリ 今ここがこれとして私達は普段と違う感覚で、身体と向き合います頭に蝶々さんがとまったとして ・・やさしく静かにしてなきゃ この仮定お聞き...

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思は、行を越ゆることなし

正法眼蔵 行持 ( 114 )演 en 和尚、あるときしめしていはく「 行 gyo は、思 si を越ゆることなく 思は、行を越ゆることなし 」 この語おもくすべし日夜に之 kore を思い朝夕 tyo-seki に之を行ふべし白雲禅師のもとで坐禅を学ばれた五祖山の法演禅師 ある時こう述べられた思い心情、脳機能これらは、身体風景の反映ディスプレイに他ならない鏡(ディスプレイ)の中に実体がないように、実体は他(身体)にあ...

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この会 e に掛錫 ka-syaku するをねがふ

正法眼蔵 行持 ( 113 )しかあれども四海 sikai 五湖 goko の雲衲 un-no 霞袂 ka-bei この会 e に掛錫 ka-syaku するをねがふところとせり耽道 tan-do の人おほきことをよろこぶべしこの道こころにそむべし。この語みに銘ずべし。坐禅堂の中に雪が舞ってる「 考えてみれば、先人方は木の下が道場だった 」師匠がこうなら、今の時代では black 道場ですそれでも全国から俊英方が、是非にと集まられたリフォームを却下な...

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翻 kae って憶 omo ふ

正法眼蔵 行持 ( 112 )翌日に上堂 zyo-do して衆にしめしていはく楊岐 yo-gi 乍 hazi めて住す屋壁 okuheki 疎 oroso かなり満牀 mann-syo に尽く雪の珍珠 tin-zyu 撒 ti らす項 unazi を縮却 syuku-kyaku して暗に嗟嘘 sa-kyo す翻 kae って憶 omo ふ古人 kozin 樹下に居せしことを楊岐 yo-gi 山に初めて来た時のことです建物は隙間だらけで、冬になれば坐禅堂の中に雪が舞ってるなんてこったい、意気消沈したもので...

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プロフィール

佐々木 正巳

Author:佐々木 正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催




かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」




宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )











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