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仏寿長遠の行持

正法眼蔵 行持 ( 138 )ただまさに、家郷 kakyo あらんは家郷をはなれ恩愛あらんは恩愛をはなれ名あらんは名をのがれ利あらんは利をのがれ田園あらんは田園をのがれ親族あらんは親族をはなるべし名利等なからんも、又はなるべしすでにあるをはなる、なきをもはなるべき道理あきらかなりそれすなはち一条の行持なり生前に名利をなげすてて、一事を行持せん仏寿長遠の行持なり道元禅師は、十三世紀・鎌倉時代の方今の社会...

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国土確定

正法眼蔵 行持 ( 137 )「 不悟は髻中 kei-tyu の宝珠 ho-zyu なり 」髻  Tabusa髪の毛を 頭上 に集めて束ねたところそこにお宝が隠れてるそれを知らないのも困ったものだ.............................「飛鳥の春の額田王」 安田靫彦・1964年これを聞かされても、何のことやらですそれに髪を束ねたのは、千年前だし覚えてません今、千年後の髻  Tabusa を束ねてますが髻  Tabusa が現れる千年後には束ねたこと...

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髻中 kei-tyu

正法眼蔵 行持 ( 136 )不悟は髻中 kei-tyu の宝珠 ho-zyu なり頭骨頭部 ←過去世の手足振舞いの凝縮影絵胸部・寛やかに伸びた鳩尾 Mizo-oti ←呼吸により「 今ここ 」との親密さ手足指先の覚醒的運用・身の振舞い ←千年後次生の頭骨頭部の創造過去・現在・未来 ときますが手足指先に神経津通って、生き生き振舞ってるやはり未来に関わるのが楽しき哉です.....

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髻中 kei-tyu の宝珠 ho-zyu

正法眼蔵 行持 ( 135 )大悟をまつことなかれ大悟は家常 kazyo の茶飯 sahan なり不悟 hugo をねがふことなかれ不悟は髻中 kei-tyu の宝珠 ho-zyu なり何かいいこと起こらないかななんて思ってるより日常の茶飯 sahan 手足をどう動かすかに次が、かかってるでは無意識にすればいいかと言うと髻  Tabusa髪の毛を 頭上 に集めて束ねたところそこにお宝が隠れてるそれを知らないのも困ったものだ何を知らないことがそう...

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光陰 ko-in をすごさず

正法眼蔵 行持 ( 134 )ただながく名利 myo-ri をなげすてて万縁に繋縛 ke-baku せらるることなかれ光陰 ko-in をすごさず、頭燃 zu-nen をはらふべし「光陰 ko-in をすごさず」 時間を無駄に過ごさないと言う事は、「 有意義に過ごそう 」 ですでもこれは、立場立場で千差万別ですドロボウさんは、盗むチャンスを真剣に見張ってこそ有意義な時間ですそれに、そもそも論で常識では、過ごしてる時間は 「 今ここ 」に...

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大隠 dai-in 小隠 syo-in を論ずることなく

正法眼蔵 行持 ( 133 )いま仏祖の大道を行持せんには大隠 dai-in 小隠 syo-in を論ずることなく聡明 somei 鈍癡 donti をいふことなかれ大隠 、美し山が見える静かなところ小隠 、街中の住まい 色々なことが理解できるなんだかチンプンカンプンそれは静かな所がいいし、聡明な方がいいと思いますしかしそれは重要なことじゃないと述べておられる- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 頭・頭骨・...

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仏祖の行持にたすけらるると覚知せざるなり

正法眼蔵 行持 ( 132 )身 sin 口 ku 意 I および依正 e-syo をきたして功夫 kuhu 参究すべし仏祖行持の功徳、もとより人天を済度する巨益 koyaku ありとも人天さらに仏祖の行持にたすけらるると覚知せざるなり身体をどう動かすかどのような言葉を使おうか何を考えようかそして今どんな状況なのか慎重神妙に参究しよう仏祖行持の功徳、これは今の概念なら倫理道徳でしょうか世界?宇宙?存在?人間? これらが倫理道徳...

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はるかに三界の人天をこゆるなり

正法眼蔵 行持 ( 131 )この天童山は、もとは小院なり覚 kaku 和尚の住裏 zyuri に、道士観、尼寺、教院等を掃除 sozyo して、いまの景徳 keitoku 寺となせり師 遷化 senge ののち左朝奉大夫 satyobu-daihu 侍御史 zi-gyosi 王伯庠 o-hakusyo ちなみに師の行業記 gyogoki を記するにある人いはく「 かの道士観、尼寺、教寺をうばひて、 いまの天童寺となせることを記すべし。」御史いはく、「 不可なり、此の事、...

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未之識 misi siki 也 nari

正法眼蔵 行持 ( 130 )太白山 宏智 wansi 禅師 正覚 syogaku 和尚の会 e に護伽藍神 go-garan-zin いはく「 われきく、覚 kaku 和尚、この山に住すること十余年なり  つねに寝堂 sindo にいたりてみんとするに  不能前 hunozen なり、未之 misi 識 siki 也 nari  」まことに有道 udo の先蹤 sensyo にあひあふなり宏智 wansi 禅師 ( 1091~ 1157 )12世紀・中国の禅僧鬼神が近づこうとしても理解不能だった...

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正法眼蔵 行持 ( 129 )1.庭石 ・ 2.新緑 ・ 3.うぐいす ・ 4.人間2.には、1(鉱物 α )にない何か β が加味されてる3.には、1(鉱物)・2(植物 )にない何か γ が加味されてる4.には、1(鉱物)・2(植物)・3(動物)にない何か δ が加味されてるα・β・γ・ δ 私達は、この4つから成り立ってる ( α・β・γ・ δ ) から   ( β・γ・ δ ) を引くと( α ) になりますα な庭石、イコー...

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プロフィール

佐々木 正巳

Author:佐々木 正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催




かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」




宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )











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