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 行 持  「 法 操 」



正法眼蔵 行 持  「 法 操 」


授手の日くれなんとす
打舂の夜あけなんとす
あるいは師の普説するときは
わが耳目なくして
いたづらに見聞をへだつ
耳目そなはるときは、師またときをはりぬ

 ( 宗匠のもとには
 ( 多くの求道者が集まり
 ( みな同じく指導をこいます
 ( とはいえ
 ( 一人一人十分に向き合えば
 ( 日は暮れてしまい
 ( うすでつくよう、鍛えんとすれば
 ( 夜が明けてしまいます
 ( 師が要諦を説明して下さっても
 ( 理解する準備が出来てなければ
 ( 聞き逃してしまい
 ( 準備が整った時には
 ( 次の説明が始まっています



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耆宿尊年 gi-syuku son-nen の老古錐
すでに拊掌笑呵呵のとき
新戒晩進のおのれとしては
むしろのすゑと接するたより
なほまれなるがごとし
堂奥にいるといらざると
師決をきくときかざるとあり

 ( 先輩方が
 ( 談笑している時などは
 ( 初心後輩のものは
 ( 末席に連なる
 ( その機会さえありません
 ( このように、仏道の堂奥に
 ( 入れる者、入れない者
 ( 重く尊い指導を
 ( 受ける者、受けれない者
 ( 順調には進まないのです



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光陰は矢よりもすみやかなり
身命は露よりももろし
師はあれども
われ参不得なるうらみあり
参ぜんとするに
師不得なるかなしみあり
かくのごとくの事、まのあたり見聞せしなり

 ( 日々は瞬く間に過ぎて行き
 ( 身命は、はかないものです
 ( その中で、師はあっても
 ( 指導を十分に受けれない
 ( という、もどかしさがあり
 ( 求道の心があっても
 ( 師に巡り合えないという悲しみもあります
 ( 私は、このような事を多く見て来ました


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大善知識、かならず
人をしる徳あれども
耕道功夫のとき
あくまで親近する良縁まれなるものなり

 ( 優れた師は
 ( 人を知る力を持っていますが
 ( 求道者がその道を求める時
 ( その優れた師に
 ( 近付ける良縁は稀なのです



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雪峰のむかし
洞山にのぼれりけんにも
投子にのぼれりけんにも
さだめてこの事煩をしのびけん

 ( 昔、雪峰禅師が
 ( 洞山禅師を訪ねた時
 ( 投子禅師を訪ねた時
 ( 思い通り指導を受けれたわけでなく
 ( いろいろ耐え忍んだであろう
 ( そのように察せられます



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この行持の法操あはれむべし
参学せざらんはかなしむべし

 ( 雪峰禅師はそれでもなお
 ( 耐えがたきに耐えて
 ( 曖昧な理解で、よしとはしませんでした
 ( これは驚くべきことです

 ( 雪峰禅師は
 ( 求道者の本懐理想を
 ( 私達に残して下さいました
 ( これを見習わないということは
 ( 雪峰禅師にとっても
 ( 私達にとっても
 ( 悲しむべきことなのです


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