行 持 下 「 心を死了せん 」
- 2021/01/10
- 10:58
正法眼蔵 行 持 下
「 心を死了せん 」
你 nanzi 見ずや
隠山 in-zan 死に至るまで
肯 ae て人を見ず
趙州 zyo-syu 死に至るまで
肯て人に告げず
( 御存じでしょう
( 隠山禅師は
( 死に至るまで
( すすんで人に会うことは
( なされませんでした
( 趙州禅師も死に至るまで
( すすんで人に会話することは
( ありませんでした

匾担 hen-tan は
橡栗 syo-ritu を拾うて
食 ziki とし
大梅 dai-bai は
荷葉 ka-yo を以て衣とす
紙衣 si-e 道者は
只 tada 紙を披 ki
玄太上座は只、布を著 tu く
( 匾担禅師は
( とちの実や栗を食し
( 大梅禅師は、蓮の葉を衣にし
( 紙衣道者は、紙を着
( 玄太上座は、綿布を着ていました

石霜 seki-so は
枯木堂を置 ta てて
衆と与 tomo に坐臥 za-ga す
只、你 nanzi が心を死了せんことを要す
( 石霜禅師(807~888)は
( 枯木で僧堂を建て
( 修行僧と共に寝起きしました
( このように祖師方は皆
( 生活をシンプルにして
( 修行者が自ら
( 「 その心を死了せんとする 」
( 坐禅の環境を整えたのでした
。。。。。。

( 坐禅の中には
( 途切れのない「 球面 」 が
( 形成されてると言えます
( 全方位、壁で囲まれてる
( 日々身体の中で過ごしてます
( これは本来の姿とも言えます
( 全方位、壁で囲まれています
( しかも、この壁は鏡です
( 「 その心 」 はどれもみな
( 好きな方向へ飛翔しますが
( どの心も鏡の壁に当たり
( 返照反射して中心へ集まります
.