行 持 下 「 帰郷すること莫 naka れ 」
- 2021/02/01
- 10:17
正法眼蔵 行 持 下
「 帰郷すること莫 naka れ 」
洪州 ko-syu 江西 ko-zei
開元寺
大寂禅師 dai-zyaku
諱 imina 道一 do-itu
漢州十方県人なり
南嶽 nan-gaku に参侍 san-zi すること
十余載 zyu-yosai なり
( 洪州 ko-syu 江西 ko-zei
( 開元寺の大寂禅師は
( [ 馬祖道一禅師 709-788 ]
( 名を道一といい
( 漢州十方県の人です
( 南嶽懐譲 nan-gaku e-zyo 禅師 677-744に
( 学ぶこと十幾年でした
馬祖道一
あるとき、郷里にかへらんとして
半路 han-ro にいたる
半路よりかへりて焼香礼拝するに
南嶽ちなみに偈 ge をつくりて
馬祖 baso にたまふにいはく
( ある時、馬祖禅師が
( 郷里に帰ろうとして
( 途中で引き返して焼香礼拝しました
( そこで南嶽禅師は詩を作って
( 馬祖禅師に示しました
勧君 kan-kun すらく
帰郷すること莫 naka れ
帰郷は道 do 行われず
並舎 hei-sya の老婆子 ro-basu
汝が旧時 kyu-zi の名を説かん
( 帰郷してはいけません
( 帰郷では仏道は行われません
( 故郷の老輩が
( 昔の名を呼びますので

この法語をたまふに
馬祖うやまひたまはりて
ちかひていはく
「 われ生々 syo-zyo にも
漢州にむかはざらん 」
と誓願して
漢州にむかひて一歩をあゆまず
江西に一住して十方を往来せしむ
( 馬祖禅師はこの詩を尊び
( 「 これから何度生まれ変わっても
( 故郷の漢州には向かいません 」
( こう誓って漢州に向かうことはせず
( 専ら江西に住したのです
わづかに即心是仏を
道得 do-toku するほかに
さらに一語の為人 i-nin なし
しかありといへども
南嶽の嫡嗣 teki-si なり
人天 の命脈なり
( 馬祖禅師は
( 「即心是仏」のみ説きました
( 他には説きませんでしたが
( 南嶽禅師の仏法を受け継いだ方であり
( 後世の私達に
( 指標を提供して下さっているのです
いかなるかこれ
莫 maku 帰郷
莫帰郷とはいかにあるべきぞ
東西南北の帰去来 ki-kyorai
ただこれ自己の倒起 to-ki なり
まことに帰郷道不行なり
( 帰郷してはいけません
( とは、どういうことでしょうか
( 帰郷せずとは
( どうあるべきなのでしょうか
( 東西南北の故郷へ向かう
( これが自己に背くことです
( 「 あっちに帰ろう 」 は
( 仏道の真逆だからです
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