行 持 下 「 滅後の勅謚 tyoku-si 」
- 2021/02/22
- 11:29
正法眼蔵 行 持 下
「 滅後の勅謚 tyoku-si 」
先師 天童和尚は越上の人事なり
十九歳にして、教学をすてて参学するに
七旬 siti-zyun におよむで、なほ不退なり

( 私の師である 天童如浄禅師 は
( 1163-1228 越上の方です
( 十九歳の時
( 学問からのアプローチを捨て
( 面壁坐禅の研鑽を始められ
( 七十歳になっても
( この行を続けられました
嘉定 Katei の皇帝より
紫衣師号 Sie-sigo をたまはるといへども
つゐにうけず、修表辞謝す
十方の雲衲 un-no ともに崇重 su-tyo す
遠近 on-gon の有識 u-siki ともに
随喜 zui-ki するなり
( 師は、南宋 嘉定の皇帝から
( 紫衣と禅師の称号を賜りました
( しかしそれは受け取らず、書をもって辞退します
( 諸国の修行僧はこの行いを尊び
( 諸方の識者も皆、大いに随喜しました
皇帝 大悦 dai-etu して
御茶 gyo-tya をたまふ
しれるものは希代 ki-dai の事と讃嘆 san-tan す
まことにこれ真実の行持なり
( 皇帝もまた大いに喜び
( 御茶を送り敬意を表しました
( この師の行いを知った者は皆
( これは希な事だと賛嘆したのです
( このような振る舞いが、仏道の本道なのです
そのゆゑは、愛名 ai-myo は
犯禁 bon-kin よりもあし
犯禁は一時の非なり
愛名は一生の累 rui なり
おろかにしてすてざることなかれ
くらくしてうくることなかれ
( 何故かと言うと
( 名を尊び、位を求めることは
( 禁戒を犯すよりも悪いのです
( 禁戒を犯すことは一時の過ちです
( しかし、名位を求めることは
( 一生の誤りだからです
( それを愚かにも求め
( 名位の暗境に陥ってはいけません
うけざるは行持なり、すつるは行持なり
六代の祖師おのおの師号あるは
みな滅後の勅謚 tyoku-si なり
在世の愛名にあらず
( 名位を受け取らないことは
( 仏祖の行いです
( 名位をスルーすることは
( 仏祖の行いです
( 中国禅六代の祖師に
( それぞれ禅師大師の称号があるのは
( すべて滅後に賜った追贈であり
( 生前に受けたものではないのです
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