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行 持  「 習 禅 」




正法眼蔵 行 持  下
 「 習 禅 」


石門の林間録に云く
菩提達磨、初め梁より魏にゆく
嵩山のふもとに経行 kin-hin し
少林に倚杖 i-zyo す

 ( 石門の林間録によれば
 ( 菩提達磨大師は
 ( インドから梁の国へ渡り
 ( その後、魏の国へ赴いたと
 ( そして、嵩山 su-zan のふもと
 ( 少林寺に静謐坐禅の場をえたと



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面壁燕坐 menpeki-enza するのみなり
習禅には非ず
久しくして人 其の故を測ることなし
因て達磨を以て習禅と為す

 ( 達磨大師は壁に向い
 ( 静かに坐すのみです
 ( それは、Step up な習い事
 ( そのようなものではなかったのです
 ( 人々は、長い間
 ( その意味を理解出来ません
 ( 理解出来ず
 ( 習練をなされてる、そう見えました



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夫れ禅那は、諸行の一なるのみ
何ぞ以て聖人を尽すに足らん
而も当時の人、之を以てす
為史 i-si の者、又従って
習禅の列につらね
枯木死灰の徒 tomogara と伍 tomo ならしむ

 ( 禅定は
 ( 多くの修行の中の一つです
 ( どうしてそれで、達磨大師の
 ( その行の意味を説明出来るでしょう
 ( 達磨大師は、習練をなされてる
 ( そう、当時の人達には見えました
 ( 歴史家も達磨大師は
 ( 禅定を習練してる、と判断し
 ( 死んだ灰のような者と
 ( 同じグループに分類しました



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然りと雖も、聖人は
禅那に止まるのみに非ず
しかも亦 禅那に違せず
易の陰陽より出でて
しかも亦 陰陽に違せざるが如し

 ( しかし、この聖人の行は
 ( 禅定修練を超えでてます
 ( それでいて禅定におさまっています
 ( それは易が
 ( 陰陽の二気から発展すれど
 ( 陰陽の中におさまっているようなものです



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梁武、初めて達磨を見し時
即ち問う、「 いかならんか是れ聖諦第一義 」
答えて曰く、「 廓然無聖 」


 ( 達磨大師に会うことが出来
 ( 梁の武帝は問います
 ( 聖人の第一義とはどのようなものでしょう
 ( 師はお答えになられます
 ( 滞留するもの、心中にそれがありません
 ( 一切が静謐の中へ消えゆきます
 ( 聖か凡か、正か誤か
 ( 重い規定判断は避けます



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 ( それは、聖なのか凡なのか
 ( それは、正しいか正しくないか
 ( これは感覚や感情の内容ではありません
 ( 内容は滞りなく流れてます
 ( しかしそれを重く判断する
 ( その思考スキームは
 ( 心中に屈強居座ってます



20200831SS00006.png

 ( P C 容量の90%
 ( そこに O S やソフトの
 ( program が入ってるとします
 ( 作業場は10% しかありません
 ( program
 ( pro (前もって) gram (書き物)
 ( たとえば display の90%を
 ( 固定な広告が占めてたら
 ( 気が変になりそうです



20200831SS00007.png

 ( そもそも論で
 ( どんな O S を使おうか
 ( って選択肢があるはずですが
 ( O S はバックヤードで
 ( 機能してるので意識化されません
 ( 意志感情思考
 ( そのバックヤードで機能する
 ( 基幹O S があるかも知れません



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 ( 達磨大師の面壁坐禅は
 ( 意志感情思考、その基幹 O S を
 ( 入れ替えられる、入れ替えましょう
 ( その具体策のようです

 ( 面壁坐禅の時
 ( 「 廓然無聖 」 という
 ( 正法眼蔵O S に入れ替わってます
 ( 眼が外向きでなく
 ( 内十字に逆向きになってる
 ( それだけでも大転換ですし
 ( 何故、内十字中心へ
 ( どこまでも視線を投げ込めるか
 ( 視野が展開するのか
 ( 日常と比較すれば、驚異的とも言えます


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正法眼蔵 

Author:正法眼蔵 
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090-7325-5711 佐々木正巳 まで

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