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行 持  下 「 焼香.礼拝.念仏.修懺.看経 を用いず 」




正法眼蔵 行 持  下
「 焼香.礼拝.念仏.修懺.看経 を用いず 」


又いはく、参禅は
身心脱落 sinzin-daturaku なり
焼香 礼拝 念仏 修懺 syu-san 看経 kan-kin を用いず
祗管 si-kan に坐して始めて得ん


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 ( 私の師である
 ( 天童如浄禅師 1163-1228 は
 ( こう述べられました
 ( 参禅とは、心を身から離して
 ( 身から離れた心が、身を正すことです

 ( 心を身に、深く浸入させて行う
 ( 焼香礼拝や念仏
 ( 懺悔 読経とは対極にあります

 ( 心を身から離し
 ( しかもその身を捨てることなく
 ( 大事なものとして扱う

 ( 参禅とは、
 ( 心を身から離して [ 一度死んで ]
 ( その屍で活きた仏像を創ることです






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プロフィール

佐々木 正巳

Author:佐々木 正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催




かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」




宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )











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