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行 持  「 不識 hu-siki 」




正法眼蔵 行 持  下
 「 不識 hu-siki 」



進んで曰く、「 朕に対する者は誰そ 」
又曰く、「 不識 hu-siki 」

 ( さらに武帝は問います
 ( 凡と聖を峻別しないなら
 ( あなたは一体
 ( どのような方なのですか?
 ( 師が答えられます
 ( 識りません



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 ( 「 朕 ware に対する者は誰 ta そ 」
 ( これは達磨大師に対して
 ( [ 指差し ] してる感じでしょうか
 ( 上のものが下を見ている
 ( そう見る事も出来ますが
 ( 下から上を見ても、左右を見ても
 ( 視線は自分から発し、外を向いてる
 ( 私達の無意識の癖のようにも思えます



20200901SS00002.png

 ( 達磨大師の視線 ( 眼 ) は
 ( 外に向かず内十字に
 ( 遥か無限へ向いています
 ( 四本の矢のようなその眼は
 ( 中心へ放たれ、無限に飛び
 ( 見えなくなります
 ( 静謐の中へと消えゆきます
 ( その消息、知る能わずでしょうか
 ( 確かにそうなので
 ( 達磨大師が、「 不識 hu-siki 」
 ( そうお答えられたのは
 ( 文字通りの事を述べられたと言えます



20200901SS00003.png

 ( その消息、知る能わず
 ( あっ、お亡くなりになられたの
 ( とも言えますが
 ( 簡単には死ぬこと能わず
 ( これが釈尊の大きな宿題です
 ( 生を〇とし、死を×とする
 ( しかし、生きてる間に死ねねば
 ( 死んでも死ねない
 ( 欲望激情は身体を失くしても
 ( 物質界とは違う時空で生き続け
 ( これが迷情の資質となり
 ( 千年スパンで受肉を繰り返す
 ( この世で死ぬことが出来れば
 ( この輪廻の循環から
 ( 抜け出ることが出来るのに
 ( これが達磨大師の
 ( 「 救迷情 」 の背景認識と言えます



20200901SS00004.png

 ( キリストの十字架上の死
 ( 神なのに、神すら未知の
 ( 人間界固有の死を経験された
 ( 人の死の門を通過なされた
 ( 達磨大師の静謐へ向かう坐禅が
 ( それと対照をなします



20200901SS00005.png

 ( ともに死の門は聖十字をしてます
 ( 達磨大師の聖十字坐は
 ( 眼を内十字にします、息も寄り添います
 ( そのイメージは周りの人には見えませんが
 ( 本人には、薄い鉛筆で書いた
 ( 下書き線くらいには明瞭に見えるはずです
  


20200901SS00006.png

 ( 幾何学的にも美的にも
 ( 正確に下書き線を描くと
 ( そして四本の矢に沿い眼を向ければ
 ( 死すのは成仏するのは
 ( 私ではなく、自分の「 迷情 」
 ( だと気付くはずです
 ( 私は、淡い十字架として継続します



20200901SS00007.png

 ( これを西洋の人が
 ( キリストを通しての救いと尊び
 ( 達磨大師が同じ経緯を
 ( 面壁坐禅として正法眼蔵として
 ( 尊んだと思われます



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正法眼蔵 

Author:正法眼蔵 
青葉坐禅堂


宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )

090-7325-5711 佐々木正巳 まで

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