行 持 下 「 為衆 i-syu 伝道 」
- 2021/03/27
- 07:43
正法眼蔵 行 持 下
「 為衆 i-syu 伝道 」
先師よのつねに普説す
われ十九載 sai よりこのかた
あまねく諸方の叢林 so-rin をふるに
為人師 i-nin-si なし
十九歳よりこのかた、一日一夜も
不礙蒲団 huge-huton の日夜あらず
( 如浄禅師は述べられました
( 十九歳の時から
( 諸方の禅道場へ参りましたが
( 師と言うべき人はおられませんでした
( そして、十九歳から今まで
( 坐禅をしない日はありません
( 坐禅を師としたのです

某甲 sore-gasi 未住院よりこのかた
郷人とものがたりせず
光陰 ko-in をしきによりてなり
掛錫 ka-syaku の処在にあり
庵裏寮舎 an-ri ryo-sya
すべていりてみることなし
いはんや游山翫水 yu-san gan-sui に
功夫 ku-hu をつゐやさんや
( 私は寺院に住持する前から
( 村人との会話も避けました
( 坐禅をする時間を大事にしたのです
( 道場に居た時は
( 他の僧の部屋を
( 訪ねることもありませんでした
( まして山水をめでることもしませんでした

雲堂公界の坐禅のほか
あるいは閣上、あるいは屏処 hei-syo をもとめて
独子ゆきて穏便のところに坐禅す
つねに袖裏 syu-ri に
蒲団をたづさえて
あるいは巌下にも坐禅す
( 僧堂での坐禅の他
( 楼閣の上や物陰を求め
( 独り適当な場所を求め
( 坐禅をなしたのです
( いつも袂には坐禅の蒲団を携え
( ある時は岩上にて坐禅をしたのです

つねにおもひき
金剛座を坐破 za-ha せんと
これもとむる所期 syo-go なり
臀肉の爛壊 ran-e するときどきもありき
このときいよいよ坐禅をこのむ
( いつも思っていたのは
( 釈尊が金剛座に坐すお姿です
( それが私の望みでした
( お尻が鬱血してしまう事もありましたが
( ますます坐禅に励んだのです

某甲今年六十五載
老骨頭懶 to-ran 不会坐禅なれども
十方兄弟をあはれむによりて
住持山門、暁諭 gyo-yu 方来
為衆 i-syu 伝道なり
諸方長老、那裏 na-ri に
什麽 so-mo の仏法か有らん、なるゆゑに
( 私は今六十五歳になり
( 頭も坐禅もおぼつかなくなりましたが
( 道を求める兄弟たちを哀れに思うので
( 道場に住持し、四方から来る人々を諭し
( 坐禅仏道を伝えているのです
( 諸方の長老たちの所にはもう
( 坐禅仏道が無くなってしまったからです

かくのごとく上堂 zyo-do し
かくのごとく普説するなり
又、諸方の雲水の人事の産をうけず
( このように如浄禅師は述べ
( 修行僧を諭しました
( また、訪れる修行僧からの
( 手土産などを受け取りませんでした
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