行 持 「 怨 家 」
- 2020/08/20
- 19:38

行 持 「 怨 家 」
光陰なにとしてか
わが功夫をぬすむ
一日をぬすむのみにあらず
多劫の功徳をぬすむ
光陰とわれと、なんの怨家ぞ
( 過ぎ去る月日は
( 私に恨みでもあるのでしょうか
( 一日の修行を盗み
( 永劫の功徳をも盗み去ります

うらむべし、わが不修の
しかあらしむるなるべし
われ、われとしたしからず
われ、われをうらむるなり
( しかし、移りゆく時間には
( そんな悪意はありません
( 私がちゃんと対さないから
( 時間が傍らを通り過ぎて行くのです
( 自分が自分と親しくないのです
( そんな自分をうらまねばなりません
( 道元禅師はどのように
( 自分と親しくなったのでしょう
( 時間は雄大な大河のように
( 私達の傍らを流れてゆきます
( かたや祖師方の時間は
( そのように流れていません

( 時間の大河は静寂から生まれ
( 十方内十字に流れ
( 威儀を正した自身の十字中心
( 静謐の中へ消えてゆきます
( 時間に親しむことで
( 自分に親しまれています


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