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谿声山色 16  「 爲法 i-ho 求法 gu-ho 」




正法眼蔵 谿声山色  16
「 爲法 i-ho 求法 gu-ho 」



かくのごとくのたぐひ
先仏これを可憐憫者 karen-minsya といふ
その先世に悪因あるによりてしかあるなり

 ( 身に深くはまり
 ( この身の中に自分を感じる
 ( あわれと言えます
 ( 悪因がそう規定してると言えます


生をうくるに爲法 i-ho 求法 gu-ho の
こころざしなきによりて
真法をみるとき真龍をあやしみ
正法にあふときいとはるるなり

 ( 悪因から求法の志が湧かず
 ( 打坐を見ても怪しみ
 ( 打坐を身近に感じられません


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この身心骨肉、かつて
従法 zyu-ho 而生 ni-syo ならざるによりて
法と不相応なり、法と不受用なり

 ( 私達の身心骨肉は本来
 ( 無限を生きる
 ( 深奥の自我には由来せず
 ( 私達にとって、実は異質なものです
 ( この異質なものの統治下に入るか
 ( それとも、この異質を材料にして
 ( 建造物仏塔を建てるか
 ( 深奥の自我の鍛えどころであり
 ( また醍醐味とも言えます






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プロフィール

佐々木 正巳

Author:佐々木 正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催




かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」




宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )











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