行 持 「 家 門 」
- 2020/09/08
- 08:30
正法眼蔵 行 持 下
「 家 門 」
かくのごとくなる家門にむまれて
国王のおもき職、なほさづくる人なし
かろき官位なほをしむ
にごれるときなほしかあり
すめらんときは見聞もまれならん
( 滝を落ち下る流水
( ひるむ事なく速度を上げて行きます
( 「 仕える 」 とはそう言うものです
( そういった手本を
( 見る機会がなければ
( どうして国の重職に就くことが
( 出来るでしょう
( 軽い官位でさえ難しいと言えます
( 世の濁った時でさえそうですし
( 世の澄んだ時には、なおのことです

( 道元禅師はなにゆえに
( 達磨大師をして正法眼蔵を伝えた
( 唯一無二の伝法者と尊ぶのでしょう

( 私がここにいます
( テーブルの向こうに
( 神や仏、あるいは人が立っています
( 確かに仕えることが出来ますが
( 盲目の信徒のようでもあります
( 相対する仕えるでは
( 不健全さが伴います
( 達磨大師の「 仕える 」 では
( 仕える対象を外に置かず
( 威儀十字として身中に置かれます

( パウロも 「 我が内なるキリスト 」
( と述べられました
( 圧倒的な神霊を
( 自分ではないもの、他者として
( しかもその他者を身中に置かれています

( 身を一軒のお家としますと
( 圧倒的なものを受け入れてしまうと
( 私の住むところは何処ですか
( お住まい喪失感が危惧されます
( 圧倒的なものを受け入れてしまうと
( お住まいは失くしてしまいますが
( 何が新たに現れるでしょうか

( 「 もと家 」 に森羅万象がやって来ます
( それらは十字落下ルートで加速され
( 気化し熱化し、精神界への帰路をえます
( それって単なる印象の推移では
( そんな疑問も起こります

( ある印象がある人の中へ入り
( 逆恨みや慙愧となり 「 魔 」 と化すか
( 同じものが別の人の中へ入れば
( 気化され熱化されて氷解し
( 静謐へと帰っていくか
( それって、大きな違いと言えます
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