行 持 「 うやまふ儀 」
- 2020/09/13
- 12:33
正法眼蔵 行 持 下
「 うやまふ儀 」
しかあるに、初祖は
南天竺国、香至王の第三皇子なり
すでに天竺国の帝胤 tei-in なり、皇子なり
( 初祖 達磨大師は
( 南インド国 香至王の第三皇子
( インド国王の子孫であり、皇子でした

高貴のうやまふべき
東地辺国には
かしづきたてまつるべき儀も
いまだしらざるなり
香なし、花なし
坐褥 za-niku おろそかなり
殿台つたなし
( 高貴な人を迎える礼法は
( 東地の辺国には伝わっていません
( お香やお花、敷物もなく
( お迎えするところも粗末です

いはんやわがくには、遠方の絶岸なり
いかでか大国の皇をうやまふ儀をしらん
たとひならふとも、迂曲して
わきまふべからざるなり
( まして我が国は
( 海を隔てたさらに遠方にあり
( 大国の皇子を尊ぶ礼法は
( 知られていません
( 学んだとしても、とんちんかんで
( お迎えするすべがありません

( 空間シミュレーションです
( 自分を中心において
( 三本の座標軸を
( 火星の距離まで伸ばします

( 火星までの距離を
( 半径とする球体ができます
( それぞれが垂直に位置する
( 球体の六点から朝日がのぼります
( この球体は六つの太陽から
( 朝日を受けて内に照らされます
( 以上は、恣意的?な
( 空間シミュレーションですが ・ ・ ・

( お釈迦様や
( 達磨大師をお迎えする
( もしお会い出来たら
( どう接すればいいでしょうか
( 上記シミュレーションでは
( 六つの朝日をお迎えしました
( 巨大な球体は内に照らされます
( 十方から姿を現す尊いものを
( 内に照らされながら神妙に受領します

( この一節は
( 達磨大師の坐禅を
( 礼法になぞらえてレポートされています
( 達磨大師や道元禅師が
( 坐禅を尊ぶのは
( 坐禅が貴いのではなく
( 坐禅が尊いものをキャッチする
( グローブだからでしょうか

( 巨大な球体のシミュレーションでは
( 六つの方角から朝日が昇ります
( その朝の光が
( 六本の内十字線に沿って
( 私へ射して来ます
( 巨大な球体の外は神々の世界とします
( ある神々がこちらに朝日のような
( 慈眼を向けられたとします
( もし坐禅を通して
( 六本の内十字線が整うなら
( それが道となり、その慈眼は
( 私を貫いて私の中心を通って
( 神々の元へと返照して行くことでしょう

( 私達は自分を
( 尊んでくれる人を尊びます
( 小ばかにする者とは離れます
( それってもしかしたら
( 神々がそうだから
( そうなるのかも知れません
( 坐禅の六つの十字線は
( 神々の慈眼を真に受けます
( 己を真に受けるものを
( 神々は愛されるのかも知れません

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