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わが明主をいとはざる




菩提薩埵四摂法 45
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むかしすなほなりしときは
国に賞罰なかりき
かのときの賞罰は
いまとひとしからざればなり

 ( 人々が正直であった時代
 ( 国に賞罰はありませんでした
 ( 当時の賞罰は、今とは違います

いまも賞をまたずして
道をもとむる人もあるべきなり
愚夫の思慮のおよぶべきにあらず

 ( 今日も褒賞に関係なく
 ( 道を求める人があるべきです
 ( 愚かな人には理解出来ないことですが

明主はあきらかなるがゆゑに
人をいとはず
人かならず国をなし
明主をもとむるこころあれども
明主の明主たる道理を
ことごとくしることまれなるゆゑに
明主にいとはれずとのみ
よろこぶといへども
わが明主をいとはざるとしらず

 ( 明主は賢明ゆえ、人を拒みません
 ( 人は必ず国をつくり
 ( 明主を求める心がありますが
 ( 明主が明主であることの道理を
 ( すべての人が、知ってるとは限りません
 ( 明主に嫌われてないことを喜び
 ( 自分の方も明主を嫌わないようにする
 ( と言う道理を知りません







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プロフィール

佐々木 正巳

Author:佐々木 正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催




かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」




宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )











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