行 持 「 一器水瀉 sya 一器 」
- 2020/08/20
- 19:43
行 持 「 一器水瀉 sya 一器 」
南岳大慧 nan-gaku daie 禅師
懐譲 ezyo 和尚
そのかみ曹谿 sokei に参じて
執侍すること十五秋なり
しかうして伝道授業すること
一器水瀉 sya 一器なることをえたり
古先の行履 anri 、もとも慕古すべし
( 南嶽懐譲 禅師は
( nangaku ezyo 677-744
( その昔、六祖の
( 大鑑慧能禅師に参じ
( 十五年間にわたり師事します、そして
( 「 一器の水を一器にそそぎ入れる 」
( この大鑑慧能禅師の道
( 身体スキーム、心体システムを
( 伝授体得なされました
( この行跡は、尊ぶべきものです

十五秋の風霜
われをわづらはす
おほかるべし
しかあれども、純一に究辨す
これ晩進の亀鏡なり
( 南嶽懐譲禅師が
( 六祖 大鑑慧能禅師に仕えた
( その十五年は
( 順風満帆ばかりではなかった
( 思考錯誤で煩わしい事も
( 多かったと思われます
( しかし、めげることなく
( 仏道を探求されています
( これこそが私達後進の
( 良きお手本と言えます

( 祖師方は
( 「 宇宙は膨張してる 」
( そのようには、観察しておられません
( 落ち着いて考えてみると
( この方程式では、膨張する先に
( 広大な宇宙が広がってます
( 膨張する宇宙は
( 宇宙の中のいち宇宙に
( 過ぎない事は明らかです
( では祖師方は
( 全体を表象する宇宙と言う概念
( これをどう導くのでしょう
( 「 宇宙は一点に向け返照してる 」

( 一器水瀉一器
( i´ki sui sya i´ki
( 細胞が細胞膜で「 一 」 をなし
( 人はその皮膚で閉じられ「 一 」 をなす
( 同じように宇宙天球も
( 内に閉じられ「 一 」 をなしてる、とします
( ヤッホー!は無限に進むのではなく
( 天球の内面に跳ね返され戻って来ます

( 一器(a)水瀉一器(b)
( i´ki sui sya i´ki
( 初めの一器(a)は
( 天球宇宙の内面に他なりません
( そこからすべてと言う 「 水 sui 」 が
( 後者の一器(b)、威儀を正した
( 内十字へと注ぎこまれて来ます
( 宇宙天球の一切が
( 内十字中心へ
( その静謐へと瀉 sya されます
( これが祖師方が表象された
( 宇宙概念と言えます

( しかしこれを
( 大学で哲学概論として学んでも
( チンプンカンプンです
( 身で十字を切り
( その中心へと神妙に静まってゆく
( 南嶽懐譲禅師のように
( 十五秋にわたる心身の研鑽
( それが必要となるからです
( あほらしくて、相手出来かねます
( 確かにその通りです
( では、このあほらし行を祖師方は
( なにゆえに続けられたのでしょう

( 自己が外界へと
( 無秩序に膨張したり
( 未知の衝動が
( 心底の大地震のように
( 自己をずたずたにしちゃう
( 十年後二十年後も
( その繰り返しですか
( あほらしくて、相手してられません
( 別の在り方を確立しよう
( そう思われたと、思われます
.