行 持 下 「 業 力 」
- 2020/09/29
- 07:47
正法眼蔵 行 持 下
「 業 力 」
また真丹国にも
祖師西来よりのち
経論に倚解 i-ge して
正法をとぶらはざる僧侶おほし
これ経論を披閲すといへども
経論の旨趣にくらし
この黒業は今日の業力のみにあらず
宿生の悪業力なり
( 達磨大師が中国へ
( 面壁坐禅を伝えられました
( その後も経論をたよりとし
( 面壁坐禅に近づかない
( 僧侶が多くおられた
( 経論を見てるのですが
( その本意に近づけないのです
( この曇りは、この今生に
( わけがあるだけではなく
( 前世に準備してこなかったという
( そんな側面が影響しているのです

( 輪廻転生が事実とします
( 身体は失くします
( 心魂の精髄はその後も
( 別の在りようで、別の時空?で
( 別の生を営むこととなって
( ほぼ一千年後
( 環境が今とはまったく違った
( この地球に生まれて来る
( また身体の中で次の一生を営むと

( 輪廻転生が事実とします
( 前世で準備してこなかった
( これは痛いお話です
( 一方、遠い来世を考えると
( 研究検証、試行錯誤
( それを自由に出来る今
( 真面目に進めないと
( そうも思えてきます

( フルマラソンを走りぬく
( 冬の富士山に登山する
( 心身ともに試行錯誤な
( 準備の日々があればこそ
( なんだろうなと思います
( それと比較して面壁坐禅は
( 体力や技術が必要とは思えません

( 普通、冬山には行かない
( これと
( 普通、面壁坐禅はしない
( この二つは似てるかも知れません
( 身体をしなやかに操る事が出来る
( クライマーのクライマーたる所以です

( 面壁坐禅は外傷の危険は
( なさそうですが
( 一見、ぼやっと坐ってる
( その身体の中に
( ベクトルの矢がその中心へ向く
( 六本の矢からなる 「力線構造」
( それをつくってます

( 目をつぶっちゃうか
( 考え事のお時間になっちゃう
( 坐禅にならないのは
( この 「力線構造」 がつくれないから
( ではなぜつくれないのか
( これがやっかいな問題です

( 冬空にある一個の水滴
( 何気その身中に
( おしゃれ幾何なる雪の結晶
( そのラインを描けます
( 何故でしょうか

( 冬空にある一個の水滴
( 雲団から離れ
( 一人フリーになってて
( 天空の力線を受け入れられる
( その条件が整ってたから
( その身に天空を模写出来た
( そう推測されます

( 天空の力線を受け入れる
( そのご準備
( 今生の面壁坐禅との格闘?
( 試行錯誤は
( まさにそのご準備のように思われます

( 地表も社会も一千年後は
( 大いに変化してることでしょう
( その時にあっても
( 天空の力線を受け入れる事が
( すこしでも出来たなら
( そこでも力強く生きていけるかも
( でしょうか

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