行 持 下 「 鬼の先骨 」
- 2020/10/21
- 09:37
正法眼蔵 行 持 下
「 鬼の先骨 」
いまわれら道のために
すてざらん髑髏は
他日にさらされて
野外にすてらるとも
たれかこれを礼拝せん
たれかこれを売買せむ
今日の精魂かへりてうらむべし
( 今生只今
( この身の中にあるので
( 自分では呪縛の解けない業火を
( 元の火に戻す事が出来るのです
( そのいつくしみを
( 私達が提供しなかったら
( その業火はまた私達と共に
( 輪廻転生せざるをえません
( その苦しみ悲しみを
( 残された髑髏が語ります
鬼の先骨をうつありき
天の先骨を礼せしあり
いたづらに塵土に化するときを
おもひやれば
いまの愛惜なし、のちのあはれみあり
( 死して後
( 苦しみ悲しみを語る
( 己の髑髏を見たら、どう思うでしょうか
( 死して後
( 共に暮らした業火を
( 少しでも成仏させて上げる事が出来
( 身軽になった己の髑髏の
( その安寧を見ることが出来たら
( どう思うでしょうか

( 正法眼蔵なる
( 面壁坐禅の法
( 800年前、道元禅師の時代
( 2500年前、釈尊の時代
( そして現在、どの時代でも
( 何を、なされてるのですか?
( まったく理解不能で
( 解かれる事を待ってる方程式のようです

( 面壁坐禅を
( ひとつの建築と見てみます
( これは生活のための建築
( 平和安寧に暮らすおうち ?
( とても、そうは思えません
( もしそうなら、世界中の人が
( いつでもスマホを見るよう
( 面壁坐禅は既に
( 世界中の方がなさってたはずです

( 面壁坐禅を
( ひとつのお墓と見てみます
( 道元禅師がなにゆえ
( 髑髏のお話しをなされるか
( こちらの方が近いかも知れません

( 霊界・神界? と
( 地上の生との接点
( それが面壁坐禅とします
( そのような接点を設けて
( 何を、なされるのですか ?
( 霊界・神界?で
( 成仏出来ない業火を
( ここで成仏して頂こうとしてる

( 霊界・神界?で成仏出来ない
( Nn ~ n ?です
( 死して霊界・神界?へ行けば
( 誰でも成仏出来るんじゃないですか

( 霊界・神界?
( それって死後の世界ですか?
( いや、この今生・地上生こそが
( 火が、風・水・土 に呪縛された
( 死後の世界かも知れません
( こちらから、あちらを見てるのではなく
( あちらから、こちらを見てる
( これが正法眼蔵
( 面壁坐禅の法の理解を遮る
( 大いなる謎のように思われます

( 正法眼蔵なる面壁坐禅の法
( このお墓建築って
( こちらから、あちらへの扉じゃなく
( あちらから、こちらへ開いてる
( 扉なんじゃないかと

( 面壁坐禅の内十字
( 六本の矢はすべて
( 心身の中心へ向いています
( 頭頂・眉間・人中って
( 真上からの矢は
( 垂直に勢い良く下されます
( その矢は何を貫くのでしょう

( 背後から流れて来る
( 意識無意識の記憶 ( 時間 )
( 前方から問いかけて来る
( 記憶の鏡像としての業火
( 上からの垂直の矢は
( これらを貫き解氷粉砕し
( 呪縛を解くが如しです

( 頭頂・眉間・人中って
( 真上から放たれる矢って
( 自分に由来するでしょうか
( いや、しません
( 自分は前後の時間であり
( 依って立つ真下の土だから

( 頭頂・眉間・人中って
( 真上から放たれる矢は
( 自分に由来せず
( 神界・正法眼蔵から放たれる
( いつくしみ、救済の矢では
( ないでしょうか

( 元気な火が
( 風・水・土 って
( なんか知らないけど
( 窮屈な感じに
( 呪いをかけられちゃった
( その意味でこの地上生すべては
( 死後の世界と言えるかも知れません

( 神界・正法眼蔵
( そこからの矢を受けて
( それで呪いを解いて上げる
( 元の元気な火にお帰り頂く
( 面壁坐禅という名のお墓って
( ぜんぜん静かじゃない
( ランチ屋さんの
( お昼のキッチンくらい活気に満ちてる
( そんなお墓なのかも知れません
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