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何故、火が必要なのでしょう




道元禅師 「 傘松道詠 」 ( 4 )


 濁りなき心の水にすむ月は 波もくだけて光とぞなる

...................................................傘松道詠 san-syo-do-ei



728 (2)





この歌のどこが
坐禅の内容を示唆しているのでしょう?

What part of this song
suggests about the content of zazen?

木を燃やして、その前で祈りを捧げる
そのような映像を見たことがあります

Burning a tree and praying in front of it
I have seen such footage.

真剣にはなれても
神妙になれる機会はまずありません

We can be serious.
But rarely do we get a chance to be with awe

そこで何故、火が必要なのでしょう
それは、肉体的にも心においても
それはまさに、火のように一瞬一瞬
過ぎ去ってるから

So why do we need fire?
Because it passes away every moment, both in the body and in the mind
Because it is just like fire, passing away moment by moment.






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プロフィール

佐々木 正巳

Author:佐々木 正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催




かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」




宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )


読み上げ( read aloud ) はこちらでした。
https://www.youtube.com/channel/・・・・








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