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行 持  「 栽 樹 」



行 持  「 栽 樹 」


臨済院慧照 e-syo 大師は
黄檗 o-baku の嫡嗣 tekisi なり
黄檗の会 e にありて三年なり
純一に辨道するに
睦州 boku-syu 陳尊宿の教訓によりて
仏法の大意を黄檗にとふこと三番するに
かさねて六十棒を喫す

 ( 臨済禅師 ~867 は
 ( 黄檗禅師 ~850 の法をつがれました

 ( 黄檗禅師に師事して三年
 ( 睦州 boku-syu という方にうながされ
 ( 仏法の大意を三度
 ( 黄檗禅師に尋ねられます
 ( しかし悉く鉄槌にて跳ね返されます



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なほ励志 reisi たゆむことなし
大愚にいたりて大悟することも
すなはち黄檗、睦州 両尊宿の教訓なり

 ( しかしめげることなく
 ( 静謐なる坐禅を続けられます
 ( その後、大愚禅師の言葉で道をえますが
 ( その推移は、黄檗禅師と睦州禅師
 ( この二人の導きによるものです



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祖席の英雄は臨済、徳山といふ
しかあれども、徳山いかにしてか臨済におよばん

 ( 祖師方の中でとくに傑出した人物
 ( それは臨済禅師と
 ( 徳山禅師といわれています
 ( しかし、臨済禅師はとびぬけています



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まことに臨済のごときは
群に群せざるなり
そのときの群は
近代の抜群よりも抜群なり

 ( 当時の修行者は
 ( 今の抜群なる修行者よりも
 ( はるかに優れておられました
 ( 臨済禅師はその中で
 ( さらに抜群なる方でした



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行業純一にして
行持抜群せりといふ
幾枚幾般の行持なりと
おもひ擬せんとするに
あたるべからざるものなり

 ( 臨済禅師の行持は
 ( その純一静謐において
 ( 抜群であったと言われています
 ( その行持の静謐さは
 ( 推察ですら近づけません



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師、黄檗に在りしとき
黄檗とともに杉松を栽うるついでに
黄檗、師に問うて曰く

「   深山の裏に
   許多 soko-baku の樹を栽えて
  作麽( nanika-sen 」

師曰く、

「 一には山門のために境致となし
 二には後人のために標榜となす 」 
 すなわち鍬をもって地をうつこと両下す


 ( 臨済禅師が黄檗禅師に
 ( 師事なされてた時のことです
 ( 共に杉や松を植林なされました
 ( 黄檗禅師が問われました
 ( この山奥に多くの木を植え
 ( どうなされるのですか
 ( 臨済禅師がお答えなられます
 ( 一つに山門の整備のためです
 ( 二つには、後世の人のため
 ( 求道の象徴とするためです
 ( そう述べられて、黄檗禅師と共に
 ( 鍬を振るわれました



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黄檗、拄杖 syu-zyo を拈起 nenki して曰く
しかももかくの如くなりと雖も
汝 已に我が三十棒を喫しおわれり
師、嘘嘘声をなす
黄檗曰く
吾が宗、汝に到って大いに世に興らん

 ( 黄檗禅師は
 ( 杖 zyo を取って述べられます
 ( しかしあなたは、さんざん私から
 ( どやしつけられて来たではないですか
 ( 臨済禅師は恥ずかし気に
 ( ため息をつかれます
 ( 黄檗禅師は述べます
 ( 私が行って来たこの行持は
 ( あなたの代で
 ( 大いに世に広まることでしょう



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しかあればすなわち
得道ののちも
杉松などをうゑけるに
てづからみづから
鍬柄をたづさへけると、しるべし

 ( このように
 ( 臨済禅師は道を得た後も
 ( 杉や松を植えるのに
 ( 自ら鍬をふるうことを厭いませんでした



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吾宗到汝大興於世
これによるべきものならん

 ( 黄檗禅師の述べられた
 ( 「 私が行って来たこの行持は
 (  あなたの代で
 (  大いに世に広まることでしょう 」
 ( とは
 ( 臨済禅師のこのような態度に
 ( よく表れています



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栽松道者 sai-syo dosya の古蹤 ko-syo
まさに単伝直指なるべし
黄檗も臨済とともに栽樹するなり

 ( 栽松道者と呼ばれた
 ( 五祖 大満禅師の行跡を
 ( 臨済禅師も同じく歩まれました
 ( 黄檗禅師と臨済禅師は
 ( 共に植林をなされたのです



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 ( 思いに拘泥凝縮されてしまう
 ( 思いがあれこれ飛翔しまくる
 ( 日常の「 ありのまま 」 と言えます
 ( 臨済禅師の「 ありのまま 」 は
 ( ちょっと異質な 「 ありのまま 」 です

 ( 臨済禅師の「 ありのまま 」 は
 ( 栽松 sai-syo
 ( 松をうえる、と言う行為の中に現れます
 ( 威儀を正し、心象に筋肉を付与します
 ( 筋力を得た心象を内十字に向けます
 ( すべては辺境静寂から生まれ
 ( 身十字中心、その静謐の中に消え入ります



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 ( 身十字中心、その静謐の中に消え入る
 ( この感じが、新鮮な緑が
 ( 沈静し木質化してゆく過程で象徴されます
 ( すべては辺境静寂から生まれ
 ( 身十字中心、その静謐の中に消え入る
 ( この「 ありのまま 」 には
 ( 威儀行が先行します
 ( その威儀行には
 ( その「 威儀行に生きよう 」と言う
 ( 意志が先行します



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 ( 臨済禅師の抜群たるゆえんそれは
 ( 「 威儀行に生きよう 」という
 ( その意志が抜群だったから
 ( 師である黄檗禅師から
 ( こてんぱんにされても
 ( 「 威儀行に生きよう 」 は不動です
 ( 師の評価や仏法とは?を理解する名誉
 ( これに左右されません
 ( なぜそう出来ちゃうのか



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 ( 臨済禅師は
 ( 仏法とは? 悟りとは? 救いとは?
 ( これらを思いおこす必要がない
 ( 現物をお持ちです
 ( すべては辺境静寂から生まれ
 ( 身十字中心、その静謐の中に消え入る
 ( 臨済禅師は
 ( この 「 栽松 sai-syo 」 という
 ( 現物現金、生きたお金をお持ちです
 ( 「 お金持ち、喧嘩せず 」 です










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プロフィール

佐々木 正巳

Author:佐々木 正巳
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「国際交流のための坐禅会」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)

2006 東京国立博物館(上野) にて開催
2006~2015 仙台国際センターにて毎月開催
2022 ~  仙台 国見にて随時開催




かつて馬祖 baso の会 e に参じてとふ
「 如何是仏 nyoga-zebutu 」と
馬祖いはく
「 即心是仏 sokusin-zebutu 」と
法常このことばをききて
言下大悟 gonka-taigo す




法常禅師 Ho-zyo zenzi が
馬祖 baso 禅師の坐禅道場で
静かにお坐りになられてる
傍目にそのお姿は、静止してて
水面静まりけり、死人のように見えます
その死んだ水面に、天地が語りかけます
陽光星辰は一瞬も滞らず、その歌を奏でます

法常禅師はある時
馬祖禅師にご質問なされた
「 仏とは、どのようなものですか 」

馬祖禅師が答えます
「 坐禅においては、心が仏となります 」




宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )


仙台にお越しの折は
気軽にお寄り下さいませ

ご連絡先はコチラでした!
090-7325-5711



師 沼田 勇 先生 



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文章を通しての師

Rudolf Steiner 先生
Kōdō Sawaki
沢木 興道 老師 ( 曹洞宗 )











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