行 持 下 「 いよいよ誨励 kai-rei 」
- 2020/11/03
- 06:53
正法眼蔵 行 持 下
「 いよいよ誨励 kai-rei 」
このとき、二祖ききて
いよいよ誨励 kai-rei す
ひそかに利刀 rito をとりて
みづから左臂 hidari-hizi を断って
置于師前 tiu-sizen するに
( 諸仏無上の妙道に通じる
( それには、永劫に精進し
( 行じ難きを行じ
( 忍び難きことを忍ばねばなりません
( 小徳小智の者が軽心を以て
( 慢心をもって求めても
( 徒な苦労に帰すだけです
( 二祖慧可大師は
( 達磨大師のこの言葉を聞いて
( いよいよ、自らをおしえはげまします
( そして、ひそかに鋭い刀をとって
( 自らの左臂を断ちます
( そしてそれを、師の前に置きます

( 軽心慢心を以て
( 道を求めても無駄です
( これを実際に
( 達磨大師から直接
( 話しかけられたら ・ ・
( どんな感じがするでしょうか

( なんか分かりませんが
( その方の言葉は、心底に響いた
( いつもはないですが
( 10年に20年に一度くらい
( その時って、いよいよ誨励 kai-rei す
( 自らをおしえ、はげまします

( 毒とは、薬とは ?
( って単純な命題があります
( その心は、適時適量で
( どちらにもなりえる、ってお話しです

( 「 みづから左臂 hidari-hizi を断って
( 置于師前 tiu-sizen するに 」
( するどい刃物で
( みづから左臂 hidari-hizi を断つ
( このイメージは
( 私達にどう作用するでしょうか

( そもそも論で
( 何故苦しいのでしょう
( 熟睡してる時は苦しくありません
( 映像で戦争災害犯罪で
( 泣き崩れる人を見ても
( 同情は起きますが
( その方の苦しみほどは感じられません

( それって
( 自分の自我が
( その方の身体の中じゃなく
( この身体の中にいるから ?
( って単純な事かも知れません

( 翻ってみると
( 自分の苦しみって
( 自我がこの身体にいるから
( とも、考えられます

( 達磨大師の面壁坐禅
( 道元禅師の只管打坐
( まったくもって接近する能わずな
( 浮世離れしたお話しです
( 自ら牢獄に入るようで
( 毒か薬か、以前です

( 意味不明なそれですが
( 一見真逆な近代思想で
( 接近してみます
( お行儀よく威儀を正すには
( 3D 座標系の垂直交差線
( 3本の線をイメージせざるをえません
( 身近じゃない正確な幾何学です
( でも、正確な位置情報って
( 今の生活の隅々に行き渡ってます

( 正確な位置情報と時間が
( リンクすると電子印鑑が成立します
( どの端末がどの時間に
( そこへアクセスしたかで
( その印鑑の正当性が担保されちゃう
( と言うカラクリでしょうか

( 坐禅の中で
( 正確な座標系を描きます
( 位置情報、すなわち
( その中心点が確定します
( この中心点の確定
( 人が行うと、とても曖昧です
( でも、座標系から行うと
( そこに情の入る余地はありません
( 機械的だし、非情とも言えます

( 暗夜行路
( 雨雪の夜空を
( ジェット機が飛んで行きます
( 機長達はコーヒーで
( 楽しく雑談してる事でしょう
( GPS が現在位置と行き先を
( 機械的に非情に
( 常に見守ってるからです

( 座標系の位置確定
( これに心情をもって
( アプローチしてみます
( その数学性・幾何学性は
( 有無を言わせないものです
( 善悪正邪も寄せ付けません

( するどい刃物で
( みづから左臂 hidari-hizi を断つ
( このイメージは当然
( ばかげた、論外なそれです
( しかしこのイメージを
( 座標系の位置確定に
( 重ね合わます、ほぼ同じです

( そう、私達が坐禅によって
( 3D 座標系の3交差線を描く時
( 私達は
( 二祖慧可大師と同じように
( みづから、臂 hizi を断つのです
( 鋭利な六刀で
( 私達は断刀されます
( この断刀が一点を明らかにします
( それは私達の
( 正確な位置情報と言えます

( 自分が自分で
( 正確な位置情報をえる
( この時って自我が
( 身体から少し離れてる
( そんな感じがします
( GPSの衛星が地上にはない
( とまではいかなくても
( ガチィ、身体の中にいる感
( それはありません
( これは微妙な違いですが
( ガチィ、身体の中にいるか
( 少し離れてる感がするか
( これって日々の生活では、どえらい違いです
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