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行 持  下  「 報謝の正道 」




正法眼蔵 行 持  下
 「 報謝の正道 」


ただまさに日日の行持
その報謝の正道なるべし
いはゆるの道理は
日日の生命を等閑 to-kan にせず
わたくしにつひやさざらんと
行持するなり

 ( 日々の行持
 ( 面壁坐禅を標準として行く
 ( これが恩に報いる正道です
 ( その道理は、日々をいい加減に過ごさず
 ( 自分を勘定に入れないことです

そのゆゑはいかん
この生命は
前来の行持の余慶 yo-kei なり
行持の大恩なり いそぎ報謝すべし

 ( 何故かと言うと、この生命が
 ( そのように創造されたからです
 ( それだけの事が出来るよう
 ( そんな働きかけが
 ( あったればこそなのです

かなしむべし、はづべし
仏祖行持の功徳分より
生成せる形骸 kei-gai を
いたづらなる妻子のづぶねとなし
妻子のもちあそびにまかせて
破落 ha-raku ををしまざらんことは

 ( 悲しみ恥じる事は
 ( 天上の思考から創られた身体を
 ( 日々の生活に任せて
 ( その設計の意図を発揮しない事です



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 ( 「 われわれのかたちに
 (   われわれをかたどって人を創り   ・ ・ 」
 ( ....................................創世記 1章26節
 ( 神は自分に似せて、人を創られた



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 ( 経験・記憶・素養
 ( 分かるッ、って言う時
 ( 以前それに対応する表象を
 ( 形成してて、それが呼応して
 ( 分かるッ、ってなるんでしょうか



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 ( 聞いた事、目にした事
 ( それに呼応する表象がないと
 ( まったく??? になります
 ( これにひるまず
 ( その瞬間を冷静に感じると
 ( その時、私達は通常かくれてる
 ( 深奥の自我
 ( 精神と呼ばれているものが
 ( 久しぶりに登場されたと感じます



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 ( 私達は
 ( 身体と心魂で出来ている
 ( これは9世紀にキリスト教会が
 ( 会議を開いて決めた
 ( 法律のような人為的なもの
 ( と言われています



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 ( それまでは
 ( 身体と心魂と精神
 ( この三つで私達は出来てる
 ( 誰でもそう思ってたと



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 ( 何故そんな事になったか
 ( 教会が危惧したのは
 ( 人が精神を持ってると思うのは
 ( とても危険だから
 ( しかし、ここで言う精神とは
 ( 「 私 」 に他なりません



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 ( この一節で述べられてる
 ( わたくし事をしない
 ( の 「 わたくし 」 が
 ( 通常の自分としますと
 ( 教会が禁じた 「 私 」 は
 ( 神に通じる、と言うより
 ( 神そのものの、「 私 」 と言えます



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 ( 精神とは 「 私 」 である
 (  「 私 」 とは神に他ならない
 ( この深奥の自我は
 ( それ単独で存在してる
 ( それが、神たるゆえんでしょうか
 ( 「 私 」 は社会や他者に述べてる
 ( そのような言葉ではなく
 ( 自分が自分に対してのみ
 ( 使われる言葉と言えます



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 ( 「 私 」
 ( すなわち精神であり
 ( 神そのものを行使できるのは
 ( 自分自身に対してのみ
 ( そう言えます



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 ( 自分自身
 ( この身体とこの心魂に対し
 ( 只一名に対してのみ
 ( 私達は 「 神 」 ( 私 ) を
 ( 行使出来ると言えます
 ( これを社会や他者に向けると
 ( 言霊?に反するし
 ( 人の自立を妨げるので
 ( 教会がそれを禁じた事も
 ( 一概に悪意とも言えません



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 ( しかし、人為的決め事で
 ( 身体・心魂・精神で出来てるものを
 ( 精神をはしょって
 ( 人は、身体と心魂で出来てる
 ( そうしちゃって一千百年も経っちゃった
 ( 世界中でそれが常識になっちゃった



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 ( 創世記に記された
 ( 神は自分に似せて、人を創られた
 ( その意味は
 ( 人は自分に対して
 ( 「 私 」 と言う事が出来る
 ( って言うことでしょうか
 ( これは万国共通なので
 ( 道元禅師はそれを
 ( 「 この生命は前来の行持の余慶 yo-kei なり 」
 ( とレポートされたわけです



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 ( 自分自身へ向ける
 ( 「 私 」 と言う思い
 ( これが他の表象と異質である
 ( それは明らかです
 ( 外界境遇心境を超越してます



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 ( 「 私 」 は幸せだ
 ( 「 私 」 はみじめだ
 ( どう転んでも 「 私 」 は不動です
 


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 ( 存命中まったく
 ( 報われなかった芸術家が
 ( マグマな創作意欲を維持出来た
 ( 幾十年と山に籠り
 ( 面壁坐禅の行持を続けられた
 ( それでもぜんぜんめげない
 ( 一隅を照らすで、自分の職分を全うする
 ( 対価評価に依存してない
 ( すごいことですが
 ( 当然と言えば当然と言えます



20201109SS00015.png
 ( 自分の身体と心魂に対し
 ( 「 私 」 を打ち込んでいた
 ( 「 神 」 を行使なされておられた
 ( お強いわけです
 ( この現実から翻って道元禅師は
 ( そのように強く生きれるのに
 ( 何故その創造の意図を
 ( 行使なされないのですか? 
 ( そう問いかけているのでしょう






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正法眼蔵 

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090-7325-5711 佐々木正巳 まで

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