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光陰とわれと、なんの怨家 onke ぞ



正法眼蔵 行持 ( 166 )



光陰 koin なにとしてかわが功夫をぬすむ
一日をぬすむのみにあらず
多劫 tago の功徳をぬすむ
光陰とわれと、なんの怨家 onke ぞ




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時間に急き立てられたり
時間が空虚さで我を責めたり
落ち着いて考えると、時間と自分って仲良く
お付き合いしてると思えない 


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面壁坐禅
目の前に壁があります
背中後方に光源があったとします
壁に、己の姿の影が映ります


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面壁坐禅
目の前の壁には、己の姿の影が映ってる
その影は 「 平面 」 ですが
己の姿身体は 「 立体 」 です
一次元下の次元を見ることになってる


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縦 横 奥行き
空間を見てるということは
私達はこの三次元空間の一つ上
そう、その三つに 「 時間 」 という次元がプラスされた
四次元空間にあって
その影である、三次元空間を目前に見てる
となります


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世界はどこまでも
三次元空間でひろがってます
それを見てる自分は その一つ上
「 その世界に次元が一つプラスされてる存在 」 とは
どこまでいっても分からないようになってる


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目標を立て、スケジュールを決め
それに沿って行動して行く
これが、「 時間 」 を生きる
ということでしょうか ?


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「 線 」 にお住まいだとします
私達は、点としてその線上を
左右上下に生きるしかありません


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「 面 」 にお住まいだとします
私達は、点としてあるいは線としてその面上を
飛び跳ねることなく、に生きるしかありません


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「 立体空間 」 にお住まいだとします
私達は、点として あるいは線として面として
その中を自由に動けます
でも、時間に関しては無力です


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そもそも論で
自由に動くには 「 時間 」 が必要です
時間がなければ硬直?氷の世界です


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点の世界(ゼロ次元)
線の世界(一次元)
面の世界(二次元)
立体の世界(三次元)

ここまでは空間に関わってます
次に加味される時間は
不明ゆえに熟考が求められます


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坐禅の輪郭線を描き
その円を閉じて、独立させます
その円の輪郭線を
その線の幅を、どんどん細くして行きます
この ing の中に行きます
これは積極的行為であって
自ら時間を創造してるが如くです


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坐禅の姿を借りて
その輪郭線の幅をどんどん細くしてく
これが何故時間の創造
時間に介入してる行為と言えるのでしょう
それは、この行為が
自らがする 「 息 」 に影響を与えるから


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坐禅の輪郭線の幅を、どんどん細くしてく
すると、それが音符になって
身体という縦笛の音は
静かで細長くなってゆきます


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時間と言う気まぐれな指揮者が
私達を自由に規定してた
速くながれたり、のんびり流れたり


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自らが音符を規定し
音楽の流れを創造してゆく
ここで初めて、私達は
「 時間 」 に介入出来たと言えます








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プロフィール

正法眼蔵 

Author:正法眼蔵 
「 国見坐禅会 」

(ご希望に合わせ随時開催・参加費無料)


宮城県仙台市青葉区国見5-6-18
( 5-6-18 kunimi Aobaku Senndai )

090-7325-5711 佐々木正巳 まで

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