行 持 下 「 請 益 」
- 2020/12/10
- 07:55
正法眼蔵 行 持 下
「 請 益 」
諸方の玄学のなかに
所未決 syoo-miketu あるは
かならず師にしたがひて
請益 sin-eki するに
雪峰和尚いはく
備頭陀 bi-zuda にとふべし

( 雪峰禅師は
( 「雪峰山」を坐禅の地に選び
( 玄沙師備禅師も従い
( 多くの修行者が集まりました
( 諸方の修行者の中に
( 坐禅の意味が理解出来ない者があれば
( 必ず師備禅師が寄り添い
( 雪峰禅師に教えを乞いました
( すると雪峰禅師は
( 「 師備 頭陀に尋ねなさい 」
( そう述べられるのでした
師まさに仁にあたりて
不譲 hu-zyo にしてこれをつとむ
抜群の行持にあらずよりは
恁麽 n-mo の行履 an-ri あるべからず
( 玄沙師備禅師は
( 雪峰禅師とは兄弟弟子の関係でしたが
( 常に雪峰禅師を敬い
( その道場を補佐しました
( 抜群の人格を形成なされてたので
( そのようなことが出来たのです

終日宴坐 en-za の行持
まれなる行持なり
いたづらに声色 syo-siki に
馳騁 ti-tei することは
おほしといへども
終日の宴坐は
つとむる人まれなるなり
( 宴 = たのしむ・やすらぐ
( 坐を、たのしむ・やすらぐ
( 玄沙師備禅師のように
( 終日宴坐出来ることは稀です
( どうしても身体の感覚の中に
( 一日が埋没してしまいます

いま晩学としては
のこりの光陰のすくなきことをおそりて
終日宴坐、これをつとむべきなり
( 私達が身体に
( 働きかける機会は
( 千年に一度しかありません
( 受肉出来るのは
( 千年に一度だからです
( その今生で
( 身体に働きかけることで
( 私達の精神は強く進化して
( さらなる千年を生きていけるのです
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