行 持 「 地水風火空 」
- 2020/09/09
- 10:30
正法眼蔵 行 持 下
「 地水風火空 」
かくのごときの辺地
かくのごときの卑賤の身命をもちながら
あくまで如来の正法をきかんみちに
いかでかこの卑賤の身命を
をしむこころあらん
( 辺地にあるこの日本で
( 卑賤の身でありながら
( 静謐坐禅に巡り合えた
( この身を惜しむなんて
( ありえません

( 身命をおしまず
( 悲壮な感じがします
( もう一つのイメージは
( ぐーたらしてない
( 打ち込むものがある感じ

( 身命をおしまず
( 達磨大師は静謐の坐禅を
( 幾年も幾年も続けられます
( それは 「 救迷情 」 と言う
( 使命感の文脈上にある感じがします

( 身命をおしまず
( 自分のためではなく
( 他者のためにしてるような
( 聖人とはそう言うもので
( 自分とは関係ないともいえますが
( 元気溌剌生きていける!
( これは一つの理想です
( 元気にやって行けるなら
( 「 他者のために 」 だと
( なぜそう生きれるか研究の価値ありです

( 風(気体)、水(液体)、土(固体)
( 眼に見えて触れる私達の環境です
( 誰かが今、目の前におられるとします
( ちょっと冷たく観察してみます

( 五感を通して風水土の世界が
( その方の中へ流入します
( 一方、その方の魂の深みから
( 思考や感情が湧き上がって来て
( その人を満たします
( 冷たく観察すると、その人って
( 外から流入するものと
( 内から湧き上がるものの総体
( そんな感じを受けます

( 道元禅師が述べられた
( 身命をおしまずって
( その「 身命 」 って
( 外来の風水土と内来の感情思考
( その総体に他ならない!
( 冷静に観察するとそうなります
( すると、身命をおしまずって
( 外来の風水土と内来の感情思考
( それを惜しまない!
( 身命をおしまずって
( それを惜しまない事ですか?
( って展開になります

( 外来の風水土と内来の感情思考
( それを惜しまない事が
( どうして他者を救う事になるのでしょう

( 自分は
( 外来の風水土と内来の感情思考
( それらからできてる
( では自分は生きてるでしょうか
( 死んでるでしょうか?
( 当然生きてます!それって
( 外来の風水土と内来の感情思考は
( 単なる印象記憶ではなく
( 自分に流入した後も
( 存在形式は変わったけど
( 現実に生きてる息づいてる
( そう見る事も出来ます

( 外来の風水土と内来の感情思考
( それって心理的かげろうではなく
( 地球の磁力が目には見えなくても
( 生きた実体なように
( 現実に生きてるならどうでしょう

( 私って、旅行宿泊業してたの
( ってなっちゃいます
( そして
( 来られたお客様にくつろぎ頂き
( 温かい気持ちで宿を後にして頂く
( とうぜんそう推移します
( 風・水・土 、感情思考がお客様で
( 十字坐禅がお宿のスタイル
( 四方から受け入れ
( 十字加速で温め
( 十字中心から 「 火 」 としてお帰り頂く

( 土水風火の順にほどいて温めて
( 十字中心からお帰り頂く、空じて頂く
( 達磨大師や道元禅師の
( 身命をおしまずって
( そのように自分のためでなく
( 自分に他ならない他者のためにしてる
( 使命感でなされてる
( 旅行宿泊業の使命感でなされてる
( テンションが続くのは
( それゆえでしょうか

( 達磨大師や道元禅師 って
( 何十万何百万アクセスを遥かに超え
( 森羅万象に対して
( いいねッ!の責任を負われてる
( テンションがお高いのは当然ですね
.